学校法人 文徳学園 文徳高等学校・文徳中学校

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2020年7月2日

生徒および保護者の方々へ 校長室から7月

 2020.7.1

 

 梅雨も本格化し、雨の多い日が続いています。梅雨前線は、九州を南北に移動を繰り返しながら大雨をもたらし、洪水警報も出るようになりました。避難が必要な場合を想定した備えが求められます。

 6月19日には、日本国内の移動が自由にできるようになりましたが、最近では、東京を中心に新型コロナウィルスの感染者が増加しています。20代から30代の感染者が多くなっているのが特徴となっています。地方への感染拡大も心配される状況があります。日本国内だけでなく世界中が新型コロナウィルスに翻弄され、世界全体では、パンデミックの状態が続いており、感染者数が1,000万人を超えています。

 さて、学校が再開し1か月余りが過ぎました。授業・部活動と学校生活のペースも少しずつ掴めてきたのではないかと思っています。学校生活においては、お互いの命を守るという観点から、家庭での朝一番の健康観察、マスクの着用、手洗い、密閉・密集・密接の「3密」を避けるなど、各人が社会的責任を自覚し、今求められている「新しい生活様式」を実践してもらっています。特に、暑い中ですが公共交通機関を利用する際は、周囲の乗客の方への配慮を忘れず、マスクの着用を徹底してほしいと思っています。一方で、十分な距離が保たれ、「3密」を避けられる環境では、マスクの着用は、必ずしも必要でないと思われます。これから一層暑くなり、熱中症も心配されます。その場、その場の状況をしっかりと判断して行動することが重要です。部活動では、県内の練習試合・校外活動等も6月21日からは解禁となり、7月1日からは県内での大会等への出場も解禁となりました。来週7月7日からは、前期中間考査が始まります。高校総体・総文祭・高校野球の代替大会等も開催が予定されています。文徳点描6月号でも紹介していますが、新型コロナウィルス感染症拡大防止のための休校措置を考慮して、就職試験、大学入試の日程も変更されています。就職試験や大学入試等の上級学校の試験を目前に控えた3年生を始め、在校生にとって、一気に歯車が回り出した感がありますが、日常の活動ができることのありがたさをしっかりと自覚し、勉強・部活動など「今やるべきこと、できること」は何かを考え、全力でやり抜くことを大いに期待しています。

 本校生一人一人が、互いを思いやり、各人の良さ、強みを生かして粘り強くやり抜き「本気で頑張っている、輝いている」ことが重要です。「どうしたらできるようになるか」を各自が前向きにしっかりと考え、行動に移してください。

2020年6月6日

生徒および保護者の方々へ 校長室から6月号

学校長 竹下 文則

 

 南部九州が梅雨入りし、熊本も梅雨入り目前となって来ました。梅雨に入れば、例年のことですが大雨等が心配されます。避難が必要な場合、新型コロナウィルスの影響もあり、密閉・密集・密接の3「密」を避けることなど考えると、これまで以上に避難所への避難について悩まされます。

 

 新年度になり新型コロナウィルスの感染拡大防止のため2か月間の休校に入っていましたが、緊急事態宣言も解除され、6月1日からようやく学校を再開することができました。実際は、前年度の3月から休校でしたので通算3か月の休校となりました。熊本地震の時も休校は経験していましたが、通算3か月に及ぶ休校は初めての経験です。この一週間、早朝から生徒諸君の声が聞こえてきます。本当にうれしいことです。放課後には、部活動をする姿も見られるようになり、学校の日常が少しずつ戻ってきているのを感じています。一方で、一部地域では感染の第2波が来たのではないかとの報道もあっています。制限の多いなかでの学校再開となりましたが、日常の生活ができることに感謝し、お互いの命を守るという観点から、マスクの着用、手洗い、密閉・密集・密接の3「密」を避けるなど、私たちの心がけしだいでできることを徹底しなくてはならないと思っています。各人が社会的責任を自覚し、果たしていくことで、少しずつ社会生活が元通りになっていくものと期待しているところです。

 

 また、新型コロナウィルスを軽く見てはいけませんが、年齢や各場面でのマスクの着用とその弊害なども話題になっており、過度に恐れず、「正しく知って、正しく恐れる」必要があると思っています。世界中で大流行し感染者が未だに増加していますが、8割は無症状や軽症であり、感染から発症、回復、重症化等のプロセスが科学的に解明されていくものと期待をしています。アンテナを高くして「正しく知る」努力を続けていきたいと思います。

 

 6月3日には、高校1年生の新入生研修を実施しました。高校入学後、すぐに休校となり、各種行事が次々と中止となり、高校生となった実感が得にくいなか、一日も早く高校生活に適応してほしいとの思いで実施したものです。密閉・密集・密接の3「密」を避け、学校の施設を最大限活用して、学年を3グループに分けて、全員がマスクをつけ、社会的距離を確保して実施しました。高校1年生にとって、高校生活は残すところ、1000日ほどです。高校生活の3年間は、これまで以上にその後の人生を左右する大変重要な期間となります。この3年間を如何に過ごすかで未来が大きく変わると言っても過言ではないと思っています。新入生一人一人が心がければできる日々の平凡なこと(一歩)の積み重ねが最大の夢実現への近道なのです。これからの1000日を一歩一歩積み上げていくことを期待しています。

 

 新入生に限らず、本校生一人一人が、志を高く掲げて、日々の努力を続け、失敗を恐れず積極的に挑戦していくことを期待しています。情熱を持って根気強く、努力と挑戦を続けている限り、確実に成長していきます。本校生一人一人が各人の良さ、強みを生かして粘り強くやり抜き「本気で頑張っている、輝いている」ことが重要なのです。大きな可能性を秘めたみなさんが光り輝くよう学校でも精一杯、みなさんの努力と挑戦を支援していきます。

2020年5月19日

生徒および保護者の方々へ 校長室から5月号                         

学校長 竹下 文則

 

 新型コロナウィルスの感染拡大により、日本中、そして世界中が大混乱をしています。本県でも国の緊急事態宣言を受け、休校の延期が続いています。令和2年度1学期始業式を去る4月8日に、入学式を4月9日に開催し、登校日以外は家庭学習となっています。ゴールデンウィークも「ステイホーム Stay Home」を合い言葉に不要不急の外出自粛が求められました。これまで、経験したことがない事態となっています。ただ、ここに来て、ようやく感染者数が減少傾向になり、本県でも発生経路の不明な感染者は出ていませんし、感染者そのものも出なくなっています。これから、少しずつ社会生活が元通りになっていくのを期待しているところです。学校も5月11日から再び登校日を設定し、時差・分散登校で学習指導等を進めています。生徒諸君が各自の責任を自覚し行動してくれているおかげで光が見え始めています。徐々に学校再開に向け取組を広げていきたいと思っています。登校日の朝、先生方が廊下の窓を開け、登校する道路の掃除や草取りをしていただいている姿を目にします。本校に来て一月あまりですが先生方の生徒諸君への思いが伝わってきます。

 さて、高校3年生は、県高校総体、総文祭が中止となる一方で就職や進学等のスケジュールも迫ってきており戸惑いも多いと思いますが、部活動においても、学習においても今できること、やるべきことを誠実にやり抜くことであると思っています。これは本校生すべてに言えることだと思っています。

 私たちも「降り止まない雨はない」との思いで、勇気と元気を出して生徒諸君・保護者の皆さんとともにこの難局を乗り越えていきたいと思います。

2020年3月19日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 最終号

 

                                      『エピローグ』     

学校長 荒木 孝洋

 

 文徳にご縁を頂き13年、多くの方に支えられて充実した日々を過ごすことができたが、この3月でもってフィナーレを迎えることとなった。齢73歳、間もなく後期高齢者である。剛毛で毎朝ドライヤーを使い悪戦苦闘していた頭髪も減る一方、残った細い髪の毛も風が吹くと飛んでしまいそうだ。歯も目も足腰もすべて劣化し記憶力も怪しくなってきた。誰が見ても老人である。振り返ると、51年の教職生活と小・中・高・大学16年の学校生活を合算すると67年間を学校という場所で過ごしたことになる。時間にしてこれまでの人生の92%にあたる。学校はコロニーにも似た施設だから世間知らずのまま随分と長居をしてしまったものだ。全力投球の51年間だったが、「何か役に立つことができたのか?」と問われると汗顔の至りだ。支えお付き合い頂いた多くの皆さまの顔が浮かび「お陰さまで」と、ただただ感謝するばかりだ。

《横浜市立盲学校》

 振り返ると、22歳、大学を卒業した直後の昭和44年4月に教職に就いた。最初に赴任したのが横浜市立盲学校である。着任直後に、天丼を注文しておきながら校長先生のカツ丼を食べてしまい、「それは私が注文したものですよ!」と大目玉を食ったことを思い出す。教職の初舞台である盲学校での生活について少し触れてみたい。生まれて初めての都会での生活、しかも、視力障害者との出会いも初めて、不安ばかりが増幅する中でのスタートであったが、ここで教壇に立った経験が私の教師像の原点になっている。盲学校には幼・小・中・高・専攻科・別科があり、3歳から60歳までの生徒が学んでいた。障害の程度も全盲・弱視・途中失明・盲聾の重複障害・知的障害などさまざまな生徒が在籍していた。中・高生と専攻科の数学の授業を担当した。目の見えない生徒に教えるのは初めての経験、全てが試行錯誤の連続であった。言葉では説明しづらい図形やグラフの指導は手作り教材、ヒモで作った教材を手で触らせながら教えたりもした。全盲の子供たちを互いにヒモで結んで富士山に登ったこともある。点字も必死に勉強した。下手くそな授業であったろうに、誰一人文句を言う生徒はいなかったし、優しく屈託の無い笑顔に支えられ実に充実した時間を過ごすことができた。わずか2年間であったが、資格試験や大学入試を目指した学習ではないのに真剣に勉強する姿に触れて、「学問とは何か?」「学ぶことで人生が豊かになる!」といった教育の原点を知ることができた。

《公立学校》

 その後、盲学校を含めて公立学校に38年間、勤務した学校が10校(横浜市立盲学校・横浜市立万騎が原中学校・甲佐高校・大矢野高校・鹿本高校・済々黌高校・人吉高校・熊本市立必由館高校・荒尾高校・玉名高校)。今でこそ、少子化で学校存続が危ぶまれる学校が増えてきたが、この時期は生徒の急増期でどの学校も定員を超える生徒が入学した。学校中に元気な若者の歓声が響き活気に満ちあふれていた時代である。個人的には、年齢と共に担任・主任・教頭・校長と立場が変わり、見える景色も関わる範囲も少しずつ変化してきたが、多くの生徒やその保護者、近隣住民の方々との悲喜こもごもの想い出がいっぱいある。特に担任時代・・・全ての子供を家庭訪問、女島のキャンプで夜中に水が押し寄せテントの大移動、クラス40人中28人国公立合格、不登校K君との出会い・・・挙げればきりがないが紹介するには紙面が足りない。

《文徳学園》

 平成19年3月に公立学校を退職し、4月からご縁を頂いたのが文徳中学校・高等学校。公私の違いに戸惑いながらも必死に走り続けた13年間。記憶をたどりながら振り返ってみたい。

 就任直後に理事長から二つの宿題を頂いた。そのひとつが、開校50周年記念事業(平成22年)に伴う“校舎改築”。本館・中央館・南館はコンクリートの劣化による危険箇所があちこちに散在し、“立ち入り禁止”の立て札とコンクリート片の落下物、傾斜と段差のある廊下や階段、数少ない女子トイレ、暗い照明、鉄枠の窓ガラス・・。傾斜のある敷地と周りの緑地を活かした設計“教室から緑の見える学校”をコンセプトにして1年間かけて青写真を作成した。悩みの種は敷地の真ん中を通る市の水路と頭上の高圧線。旧校舎の秀優館(1~3号館)との連結にも配慮しながら校舎をV字形に配置し、生徒の昇降口を水路をまたぐ形で4階に設置した。さらに、Ⅱ期工事として、生徒の移動経路を勘案し、4階の昇降口を基点として北側に校舎を、東・南に体育館・実習棟・駐輪場を配置して建築することとした。さらに、正面玄関付近は生徒送迎の車と登下校する自転車通学生の接触を回避するために一方通行の自動車行路を確保した。平成21年にⅠ期工事の4号館と5号館の校舎が完成し、Ⅱ期工事とした体育館と駐輪場が平成26年に、実習棟が平成27年に完成した。平成28年4月の熊本地震発生直前にいこいの広場と学園創設者中山義崇先生の銅像を建立し、足かけ9年に亘る改築工事の全てが完了した。昔の面影はすべて消えたが、緑に囲まれた素晴らしい学習環境が整った。

 もうひとつの課題が“工業高校から総合高校への脱皮”だった。キャッチフレーズに“全ての生徒のニーズに応える百貨店・・・“マイ東大・マイ横綱・マイ甲子園”を掲げ生徒を鼓舞した。なりたい自分“マイ◯◯◯”を実現するための具体的行動指針として提示したのが「文徳はあたまを鍛える道場である」というフレーズ、【あ】明るい挨拶と温かい言葉【た】逞しい体力と確かな学力【ま】真っ直ぐな心で前向きな行動である。職員の数値目標として、トリプル100(国公立100・崇城100・就職率100%)、ダブルゼロ(退学0、いじめ0)、プラスワン(もう1点、失敗してもワンチャンス)を掲げたがいずれも未達成である。感動の数々・・・学校改革の一環として立ち上げた東大・医進コースの一期生から東大合格が出たときの嬉し涙、何度もチャンスが在りながらとうとう甲子園出場が実現できず流した悔し涙。フィナーレは相撲部の全国制覇の感動の涙。結果はともあれ、子供たちが必死に学習したり練習している姿を見ると「完全燃焼!これでいいのだ」と納得できる。とはいえ、この13年間、校長として特別のパフォーマンスをしたわけではない。毎日、同じ時間に起きて、同じ時間に朝食をとり歯磨きをして、背広姿で家を出る。車に乗って同じ道をほぼ同じ時間をかけて学校に着く。学校が終わると、また同じ道を逆戻りして家に帰ることの繰り返し。片道8キロだから年間300日の勤務とすれば走行距離が6万3千キロになる。私学経営は、公立と違ってスピード感を持って学校改革ができるのが特徴である。しかし、生徒がいてなんぼの世界でもある。入試の時期になると眠れない日が続く。入学式に新入生が一人も来てない夢を見たこともある。

《教師を志したきっかけ》

 話は前後するが、教師になった経緯を振り返ってみたい。私は昭和21年、上益城郡の朝日村(今の山都町)という田舎に生まれた。戦後のドサクサの食糧難時代、街から疎開してきた叔父や叔母たちとの同居生活、農家だから米や野菜は自給自足できるが、タンパク質は卵か塩鰯ぐらいの質素な食生活。保育園もなく小中学校での給食もなかった。テレビがついたのが小学5年生、楽しみはもっぱらラジオ、母の愛好は広澤虎三の浪花節、一緒に何度聞いたことか今でも想い出す。夜は9時になると消灯、この頃から早寝の習慣が身についたようだ。高校になると、農作業の要員として一人前に扱われ、中学の時やっていたバレーも辞めて農作業が部活動になった。当時は、長男が農家の跡継ぎをするのは当たり前の時代、「長男がこんなことでいいのか?」と、後ろめたい気持ちで大学に入学した。「百姓は弟の孝二がする。先生になりたいなら大学に行っていい」と後押ししてくれた親父にはただただ感謝するばかりだ。4年間の学生生活は実に充実していた。今と違って、学生には優しい金銭的制度が在り、授業料が年間12000円、寮費(食費込み)が月額3000円。4年間仕送りゼロ、奨学金とアルバイト代でお釣りが来るくらいゆとりがあった。しかし、四年次は学生紛争で校舎は封鎖され卒業式は中止、しかも卒業証書は行方不明、後日事務室で頂くことになった。

 【敬愛する二人の恩師】既に亡くなられたが、尊敬する2人の先生を紹介したい。「こんな先生になりたい」と教師を志すきっかけとなった先生である。一人は小学5・6年生の担任だったM先生。「命の大切さ」を教えていただいた。子どもたちの貧弱な弁当を見ては“ご飯の友”を振り掛けたり、夜は下宿先に子どもを集めての勉強会をするなど、笑顔の絶えない優しい先生であったが、一度だけこっぴどく叱られた。起立した前の子の椅子を後に引いた。その子は座ろうとしたが、椅子がないのでひっくり返り後頭部を床に打ち付けた。それを見た先生は怒髪天を衝くの形相になり「死んだらどうするんだ。反省しろ!」と、水の入ったバケツを持たされ廊下に1時間立たされた。もう一人は中学1・2年の担任T先生。音楽の先生で、歌うのが苦手だった私に、楽器を持たせて「音楽は歌だけではないよ」と慰めて下さった。「勉強しろ」とは一度も言われたことはないが、誰も「イヤ」と反発できないほど勉強を強いられた。毎朝、英単語と計算問題が黒板にびっしりと書かれており、生徒は朝のSHR前に仕上げなくてはならない。遅刻したら0点。夕刻には採点して返却される。定期考査の日も休みなし。一年中である。英語と数学の基礎・基本を徹底して叩き込まれた。もちろん、クラス全員の成績が向上したことは間違いない。

《エピローグ》

 校長の仕事は、泥臭く汗をかいて、勇気と知恵を振り絞って、子供たちの人生の炎を燃やしてやることしかないと思っている。この13年間、毎月1回ブログを書き続けられたのも素直な子供たちがいたからだし、子供への期待や教育改革や教育事情についての紹介や思い・考えを述べてきた。長い間駄文にお付き合いいただき、しかも、数々のご助言や忠言、励ましを賜ったことに衷心より感謝申し上げます。低頭深謝!ありがとうございました。

 離任はしますが、“文徳は永遠に不滅です”(長嶋監督の言葉を借りて)。文徳学園はこれからも次代を担う若者の成長を精一杯支援し続けることでしょう。4月からは、私も「ドリーム・サポーター」の一員として文徳応援団になります。                   

令和2年3月

2020年1月16日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第181号

                          『いけいけドンドン』     

                                                                                                             学校長 荒木 孝洋

 高大接続の目玉のように言われていた大学入学共通テストの「国語・数学への記述式問題の導入」と「英語における民間資格・検定試験の活用」が頓挫した。確かに、記述式問題の必要性や英語の4技能(読む・書く・聞く・話す)の重要性は言うまでもないことである。しかし、ただ、それを共通テストに組み込むことに相当無理があった。文科省の事務方もそれはわかっていたはずだ。それでも、政策決定権者は違う決断をした。その後も、軌道修正の意見はあったに違いない。そうこうするうちに時は過ぎ、いつしか、「もう巻き返しは無理、かくたる上は規定方針の中で最善を尽くすべし」と切り替えたものの、異論続出、観念したかのように中止する。まあ、そんなところだろう。無関係の人は「まあ、どうにかなるだろう」と意見を言わないし、異論のある人も「和を乱す煙たいヤツ」と潰されたり放り出されたりしてはたまらないからブレーキをかけるのを躊躇する。“いけいけドンドン”の強風が吹くときに異を唱えるのは勇気がいるし止めるのが難しくなってしまう。
 丸山眞男氏の著書「無責任の体系」という本の中に、戦争勃発についての鋭い指摘がある。第二次大戦突入から敗戦に至る日本の意思決定の構図についての指摘である。【第一】現実を直視しない希望的観測。【第二】事ここに至っては後戻りできないと諦め、誤った政策を続ける既成事実への屈服。【第三】自分にそれを是正する力はないと自らの役割を限定する逃避。今回の入試改革の頓挫と酷似している。理屈を超えた大きな力で物事が動くときには危険が潜んでいる可能性を疑うべきだという指摘ではなかろうか。昨今の施策を見ていると、入試改革だけでなく、年金改革、働き方改革、中東への自衛隊派遣、IR法案など唐突で生煮えのまま“いけいけドンドン”と強引に進められているようで不安になる。教育改革もしかり。最近、特に気になるのが「GIGAスクール構想」だ。文科省のロードマップによると、23年度までにすべての小中学校の児童生徒に「1人1台」のタブレットなどの端末機器を整備し、20年度中に高速大容量の通信ネットワークを小学校から高校、特別支援学校のすべてに完備するとしている。この構想の発端は、2019年12月に公表されたOECDの学力到達度調査(PISA)の結果にある。日本の子供の「読解力」の低下、その主な原因のひとつは「デジタル読解力」の低さにあるとの指摘から、学校のICT機器整備を喫緊の課題と捕らえての構想のようだ。計画は良い、やる気も伝わってくる。しかし、本当に計画通り進むのだろうか?「何年度までに必ず何々する」といった、最初に年限ありきは頓挫した入試改革と相似形だ。考えなければならないことは山ほどある。自治体はついていけるのか?機器を管理し活用する立場の教員や学校への支援は十分か?未来図通りの効果的な活用が進むのか?セキュリティは大丈夫なのか?機器の故障はどうするのか?数年後の更新はどうするのか?など、どこまで続く????
 さらに、難題なのが子供たちの活用法だ。学校にネットワークが整備されると、子どもたちはタブレットもスマホも自由自在に使えるから、学習活動よりもゲームに熱中するのは火を見るより明らかだ。すでに大半の高校ではスマホの学校持ち込みは許可しているから、指導の困難さは実証済みである。まして、自制心が弱く興味関心の塊のような小中学生にスマホやタブレットを持たせたらどうなるか。ゲームはおろか、猥褻画像の検索も簡単にできるし、盗撮も心配しなくてはならない。とんでもない光景が学校文化になりそうだ。文科省は入試改革の失敗から正しく学ばなければならないのに・・・またもや同じ構図が見え隠れする。グローバル化したネット社会では機器の活用は避けて通れない。しかし、急ぐあまり、結果的に、大人と子どもの“いけいけドンドン”の知恵比べになっては元も子もない。