2012/5/16 水曜日

若者よ

Filed under: おしらせ — admin @ 9:13:55

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第97号 

         97-1.JPG   97-2.JPG

         『若者よ! 飛び込んでみよう!』

                          学校長 荒木 孝洋

 最近の子供は弱くなったと言われる。高校の教員をして44年目を迎えたが、実感としては、それは個人差の問題であり、決して弱くなったとは思わない。ただひとつだけ昔の子供と比べて違うと感じることは、敢えて飛び込もうとしない点だ。たとえ目の前に立ちふさがるものが難解な試練であったり、成功の望めない壁であったとしても、昔の生徒には躊躇もせず飛び込んでいく者が多かった。

 例えば、受験がその典型で、奮闘及ばず不首尾に終わっても、目標とする大学に向けてもがきながら努力を続ける姿があった。中には、二浪、三浪も辞せずという猛者もおり、彼らの「前へ」という姿勢は傍で見ていても、若武者のように清々しい輝きを放っていた。私の知っている範囲でも、《五浪して医学部に行き40才で病院の院長をしているH君》、《高校時代は剣道一直線、京大のキャプテンになりたいと浪人、法学部を卒業、今、熊本で弁護士として活躍しているM君》、《大学を卒業したが、外国から日本を見たいと二年間世界放浪、帰国後、教員採用試験にチャレンジ、数学の教師として頑張っているM君》、《子育て一段落、40才で看護師免許取得し、婦長として頑張っているTさん》。

 先日、崇城大学工学部航空学科主催の講演会があった。講師は宇宙飛行士若田光一さん、講演のキーワードは『夢・探求心・思いやり』であった。「世界には楽しいことがいっぱいある。アンテナを広く張って、その中から自分に合うものを探して欲しい。目標を持って何かをやれば、たとえそのことが不首尾に終わっても、その過程で悩み苦しんだことが必ず役に立つときが来る。若者よ挑戦せよ!」と若者へエールを送られた。私も共感しながら講演を拝聴した。大人になろうとしている若者へ贈るメッセージがあるとするなら、汚れたり、転ぶことを恥じずに自分自身に立ちふさがるものに「飛び込め」ということだ。今の若者は昔の若者より能力的に劣ってなどいない。むしろ情報収集やインターネットに象徴されるITの能力は21世紀の若者が持つ個性であり、無限の可能性を秘めたスキルでもある。そこにもし「飛び込む」勇気が加われば、更に大きく人生の可能性を広げることができることを知って欲しい。

 いつの時代も、人は、汚れることを嫌い、格好悪い姿を世間に晒すことを嫌がるものだが、世間はそれほどひとりの人間を注視などしていない。しかし、頑張っている若者への眼差しは結構温かいものだ。泥だらけになっても努力を続ける姿を美しいものだと賞賛し心から応援している人も結構多くいることに気づいて欲しい。何にもしなければある意味スマートに過ごすことができるかも知れないが、その代わりにあるものは現状での停滞だと言うこともわかって欲しい。迷い・悩むときは、『佇み・考える時間』も必要だが、時間をバネにして飛ばなくては前に行けない。『佇み』は飛躍への時間調整である。変な言い方かも知れないが、『格好悪くたっていいじゃないか。歩みの遅いカメのように自分のペースで歩もうよ!』。敢えてそんなメッセージを若者に伝えたい。どんな歩みであれ、自らの意志、そして自らの決断から踏み出す一歩は何にも替えがたい行いだと思う。そして、それは外から見えないかもしれないが、地下水のように心の中をゆっくりと流れ、人生を生きていく上で大切な『糧(肥やし)』として帰ってくるものと確信する。飛ばなければ『サザエさん』のカツオじゃないけど、いつまでも子供のままの自分がそこにいることになる。

2012/4/23 月曜日

まず褒める

Filed under: おしらせ — admin @ 10:27:54

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第96号 

       96-1.JPG    96-2.JPG

『まず褒める、そして叱る、また褒める(叱り方の極意)』

                     学校長 荒木 孝洋

 近所に躾の行き届いた犬がいる。絶対に吠えたり、人を噛んだりしない。あまりにも温和しく無駄吠えもしないので《このワンちゃん声帯でも取ったのか?》と思うほどです。一度映画館に連れて行ったが、映画の間中吠えなかったそうです。私が飼い主に「どうやってワンちゃんをそんな良い子に育てたのですか?」と尋ねると、「まず、何か出来た時、いっぱい褒めてあげるんです。抱いてあげたり、なでてあげたり、優しい声で褒めてあげるんです。出来る度に毎回毎回。良い子でいたら必ず褒めるんです。それから、吠えていけない場所で無駄吠えすると叱るんです。母犬は子犬の首を噛んで叱ります。だから、私も犬の首を軽く噛んで注意するんです。そうすると、これはいけないことなんだ、というのが犬にわかるんです。それと、低い呻り声で叱る母犬の真似をして、私も叱る時は、低いうなり声で子犬を叱ります。基本的にはいっぱい遊んであげて、いっぱい撫でたり褒めたり、可愛がっていれば、言うことを聞いてくれます」と・・・。

 この子犬の躾け方と子どもの躾には共通点があると思います。『褒める、叱る、褒める』のサンドウイッチ。そして、『駄目なことは絶対させない』の2点である。これが、叱り方の極意であると、犬から教えられた気がします。しかし、「貴方ははどうですか?」と問われると、汗顔の至りです。今でこそ、褒めて育てることがいかに大切かを理解できますが、新米ホヤホヤの若い頃は、『叱り・叱り』の連続、「バカ! アホ! 何でこんなこともできんのか!」意気込みばかりの指導。もっと優しい言葉をかけて指導していたなら、芽が伸びた生徒も多数いたのではないかと思うと申し訳なくなります。

 とはいえ、この間、考えを変える転機が何度もありました。例えば、30才の頃、ある先輩の先生から「どんなワルと言われる子供にもいいところが必ずあります。先生は、クラスの全員の子供について、その子を褒める材料をお持ちですか? 子供のいない放課後の教室で教壇に立って、生徒ひとり一人の顔を思い浮かべながら、話しかけるようにして、その子の長所をあげてみませんか」と問いかけられました。やってみると、悲しいことに数名の子については何にも浮かびません。子供の行動や言葉の根っこにある本音を見ようとしていなかったことに気づいたのです。褒める材料を求めて子供の「良いところ探し」を始めました。家庭訪問を始めたのもその頃です。また、その先生は「褒める材料がないときは仕掛けも必要です。『朝の3分間スピーチ』とか『クラスマッチで優勝するぞ!』・・・etc」とも言われました。

 何ヶ月か過ぎた頃、その先生から「笑顔が増えたね」と褒められ嬉しくなりました。自分では意識していませんでしたが、顔が柔和になり褒める場面が多くなっていたのでしょう。 子供はいつも自分を褒めてくれる大人が大好きです。大好きな大人の注意ならば素直に言うことを聞きます。だが、ひとつだけ条件があります。「子供がその大人を甘く見ていないこと」です。いくら褒められても「こんな大したことのない大人の言うことなんか聞いていられないよ」となれば、褒める意味がなくなってしまいます。では、子供はどんな大人を甘く見るのでしょうか? 家庭ならば、「子供のわがままを許す親、子供の前でお互いの悪口を言う親(威厳のない親)」です。学校ならば「頭ごなしに叱る先生、無視する先生、同僚の悪口を言う先生、教科指導力のない先生」です。そして、叱り方の極意はもうひとつあります。『しつこくダラダラ叱らないこと』です。褒め言葉は繰り返し、叱るときはその場で一発ビシッと、ダラダラは最悪、後はぶり返さないことです。 高校生ともなると、褒められると照れてしまう年頃ですが、褒められて喜ばない子はいません。3才の子も16才の子も同じです。『優しい言葉と威厳ある行動』は躾と教育の原点だと思います。

2012/4/12 木曜日

本気を支える3つの気

Filed under: おしらせ — admin @ 13:21:45

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第95号 

       95-1.JPG     95-2.JPG

            『本気を支える3つの気』

                          学校長 荒木 孝洋

 学校の中庭のハナミズキが芽吹き始め、待ち望んでいた春を迎えることができそうです。今年も桜吹雪の中、中学と高校合わせて425名の新入生を迎えました。真新しい制服に身を包んだ新入生、子どもたちが置かれている環境は年々厳しくなっていますが、純朴なその姿を見ていると「大人が頑張らないと・・・」と身も心も引き締まります。世界同時不況の真っ直中、日本では、東日本震災復興予算の捻出や企業の海外流出に伴う雇用の空洞化、加えて少子化対策・高齢者支援などクリアすべき課題が山積していますが、「この子らに幸あれ」と祈らずにはおれません。

 ところで、今年の新学期の始業式では校長訓話として、「心に本気という一本の木を植えて、大きく育てて欲しい」という話をしました。『気』と言う漢字を辞書で調べると、形状を表わす「息」とか「ガス状の気体」、「気候を表わす節気」の他に「人間の心身の活力、気力、養気」とか「形はないが、何となく感じられる勢いや動き」といった意味が書かれています。「勉強や部活に本気で打ち込み、遊ぶときも本気で楽しみ、厳しいことにもどんどん挑戦することで自分の世界が大きく広がってゆく。“本気でやればたいていのことはできる”“本気でやれば何でも楽しい”“本気でやれば誰かが助けてくれる”」と言った内容の話も付け加えました。しかし、本気という木は支柱(別の種類の気)がないと途中で本気は萎え木が枯れてしまいます。本気を支える支柱(気)とはなんでしょうか?。私は、『継続という根気』『ガンバレよと励ます元気』『STOPという勇気』だと思います。3本の支柱(気)を添えると、本気という木はスクスクと大きく育っていくと思います。

 また、中学生には質問形式で似たような話をしました。「あなたの心に木を植えるとしたらどんな木を植えますか?」(問い)。中学生の反応は実に多様です。「僕は心に柳の木を植えたい。しなやかな心でいたいから」とか「私はしだれ桜を植えたい。可憐な私になりたいから」「僕は縄文杉を植えたい。(理由不明)」などetc・・・。そこで、前述の本気(木)の話をした後に、「では、心に気を植えるとしたら、どんな気を植えますか?」と問うと、「やる気」「元気」「根気」「負けん気」「陽気」「正気」「意気」と前向きな言葉が続いていきます。子どもの発想はスゴイです。大人だったらどうでしょうか?。「弱気」「脳天気」「浮気」「暢気」「損気」・・・負のイメージの言葉を吐く人も結構いるのではないでしょうか。

 春は出会いの季節、自分は動かなくても新しい人が増えると心が弾みます。座る位置や座席の向きを変えただけでも新鮮になれるものです。『縁尋奇妙(えんじんきみょう)多逢勝因(たほうしょういん)』の言葉のように、人と人との出会いは不思議で奇妙なものですが、多くの出会いに感謝しようと思うこの時期です。還暦をとっくに過ぎた私ですが、若い子どもたちから毎年元気を貰っています。お陰様で、今年も新鮮な気持ちで新学期をスタートすることができました。文徳学園は職員一丸となって『本気』で『勇気を持って』『根気強く』『元気よく』子どもを育成します。 

2012/2/13 月曜日

太平洋の浮草

Filed under: おしらせ — admin @ 9:08:19

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第94号        

       94-2.JPG    94-1.JPG

          『太平洋の浮き草』

                          学校長 荒木 孝洋

  暦の上では立春、「寒さで縮こまった身体を伸ばす準備をせよ」の知らせだ。ここ数日の寒波で梅の開花も遅れているが、「啓蟄(3月5日)」まで三寒四温を繰り返しながら、ユックリと春は訪れるのだろう。インフルエンザの流行もまだ治りそうにないが、少しずつ背筋を伸ばしていきたい。

 ところで、高校教育では「確率・統計」は教えるが「統計の見方」という科目はない。私の専門が数学だから気になるのかもしれないが、日本人は与えられたデータや処理された数値から安易に結論を導く傾向にあるようで気になる。同じ調査でも、サンプル数や調査対象、調査時期や地域、質問の仕方などさまざまな要因によって得られるデータは大きく変わる。だから、統計調査から結論を導く場合はよほど気をつけないととんでもないことになる。

 例えばこんな例がある。英国BBCが「世界に好影響を与えている国」という世論調査を主要二十数カ国で行った。それによると、アメリカ人で日本を高く評価する人は69%であり、逆に日本人でアメリカを高く評価する人は36%であるというデータがでたそうだ。権威ある世論調査だから、マスコミはこの数字から「日米の互いに相手を見る目には大きなギャップがある」と報道している。しかし、同時に実施された調査で、日本人が最も高く評価するのは自国で39%、アメリカ人が最も高く評価するのはカナダの82%、すなわち日米では回答の基準に数値上の大きな差があり、36%と69%の違いを同列に論じてはいけないのだ。後半の二つの数値も併せて判断すると、日本人の日米両国に対する評価はほとんど違わないのだから、「日本人はアメリカを高く評価している」となり、アメリカ人のカナダ・日本に対する評価の差を見ると「アメリカ人の日本に対する評価はさほど高くはない」という結論にさえなる。

 一般に、欧米の調査は「YES」か「NO」の二者択一式か、「YESに近い」「NOに近い」を加えた四者択一式が多く、国民も五択目の「どちらでもない」といった判断を避ける傾向(国民性)にある。今回のBBCの調査でも、日本を除くほぼ全ての国で65%から85%が自国を高く評価しているが、日本だけがたったの39%と自虐的なほど低い評価である。だからと言って「日本を嫌いか」と問われると、残りの61%が「YES」と答えるわけではない。実は、「YES」と「NO」を加えたものより「どちらとも言えない」に多く投票している。この現象は、日本人の「白黒決着を避けたがる国民性」、「控えめに語るをよしとする美感」によるものだと考えると納得できる。

  私は、新聞や雑誌、テレビの調査結果を見る瞬間、「さあ嘘が始まるぞ!」と身構える習性がある。本来、真実追究・真実報道がマスコミの責務だと思うが、最近の新聞やテレビを見ていると、世論を一定方向に誘導するための道具として世論調査を用いているのではないかと思えるケースも結構多い。調査対象や調査人数も明かさずに、数値だけを突出させて引用する手法はイカサマに近い。視聴者受けする過激で強引な手法は止めてもらいたい。TPP、原発、普天間、少子高齢化、年金・・・いずれも国民は判断を留保している(迷っている)。メディアによる詐術によって国民が正しい判断を奪われると、結論は真実からドンドン遠ざかり、苛立つ国民は「一刀両断の英雄」を渇望してしまう。英雄待望論にはナチス・ヒットラーの罠があることを忘れてはならない。マスコミ関係者も同じ日本人だ。国の浮沈に関わることには冷静な報道と対応をお願いしたい。でないと、日本は世界からほんろうされ、日本列島は太平洋の浮き島(孤島)となり、日本民族は世界を流浪することになる。

2012/1/25 水曜日

成果の測定

Filed under: おしらせ — admin @ 10:11:36

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第93号          

     93-1.JPG     93-2.JPG

              『成果の測定』

                           学校長 荒木 孝洋

 センター試験が終わり受験生はホッと一息、悲喜こもごもの様子は今年も同じだ。学校を製造工場に例えるなら、丹精込めて加工(指導)した製品(生徒)が高値(志望校)で販売(合格)されることを願わずにはおれない。思うように得点できなかった生徒は気持ちが滅入っているだろうが、挽回のチャンスは残っている。残された一ヶ月、全力で個別試験にチャレンジして欲しいと願っている。一方、今日はいよいよ高校入試、今年も1600名を越える受験生。定員が360名だから希望者全員を仕入れる(合格)わけにはいかないのが辛い。毎年のことだが、デリケートな受験生の心理を考えると神経をすり減らす作業が続くことになる。

 ところで、「教師は世間知らず」とよく言われるが、「世間も学校をよく知らず」と思うことがある。例えば、欧米と日本の教育環境の違いについての質問もそのひとつだ。学力世界一と言われるフィンランドでは、生徒の授業料は大学院まで無料、教師の仕事は授業のみ、待遇も弁護士や医師と同程度と優遇されている。小中学校では午前中の授業が終わると、午後は校外の施設で習い事やクラブ活動を行う。生活指導や進路指導は家庭の責任と聞いている。子どもへの昼食手当も給付されるそうだ。このように日本と欧米では、教育環境も教師の責務も異なるが、授業が学校教育の根幹であることは共通である。

 そこで、授業についての現場教師の苦労について少し触れてみたい。 実は、授業は簡単なようだが、多様な要素から成り立っている。まず、授業の前に教材研究や補助教材の準備、教科によっては小道具の作成などから始まる。教材研究には授業の2倍から3倍の時間を要する。特に、若い先生は問題の吟味・選択に多くの時間を費やす。また、服装や教室への入り方、出欠点呼などの細かいことさえ児童生徒の学習心理に影響するから気を遣う。

 一般的に授業は、【導入】、【展開】、【まとめ】と分けて組み立てる。導入部分では、時間配分は少ないが学習意欲を左右する重要な場面で、教師の力量が問われる。そして、授業の大部分を占めるのが展開である。声の大小の使い分け、間合いの取り方、教育機器の使用、発問応答や机間巡視のタイミング、質問への対応など、留意すべき要素は限りない。まとめの時間も短いが、学習内容の定着に関わるので工夫が必要だ。終了後も、児童生徒の状況観察や換気の指示など、さまざまな配慮が求められる。しかも、授業環境は刻々と変わる。前時の授業の状況、時間帯、車の警笛や鳥の声など、学習を左右するものは無限にある。例えば、天候による教室の明るさの変化に板書の大きさやチョークの色を対応させるなど、即座かつ有効な対応が必要だ。しかも、同じ時間、同じ先生から、同じ内容を習っても、生徒の習熟状況は全く異なる。小テストで確認することも多いが、自分ではよくできたと思う授業でも理解が高いとは限らないのだから授業は難しい。

 大阪の橋下市長は「教育改革」と称してさまざまな提言をされている。その中の一つに成果の測定がある。つまり、人事評価や学校評価を民間企業に倣って行うということである。しかし、人づくりは物作りと違って指導と成果の間にはタイムラグがあり、因果関係もはっきりしないことが多く測定は極めて難しい。しかも、子どもを取り巻く教育環境は昔と様変わりし、塾やテレビならまだしも、ネットや携帯など子どもへの情報源は計り知れないから教師の悩みは深刻だ。大人から見れば、学校の仕事をまどろっこしく感じられることがあるかもしれないが、志を育てる作業には時間がかかることも理解して欲しい。世間の出来事や社会の直近のニーズだけに対応した授業や指導をしていると子どもは育ち損なう。授業評価や学校評価など成果の測定は橋下市長が言われるほど簡単ではない。 

2012/1/13 金曜日

夢なき国は滅ぶ

Filed under: おしらせ — admin @ 12:12:17

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第92号 

       92-1.JPG   92-2.JPG

            『夢なき国は滅ぶ』

                         学校長  荒木 孝洋

  6日は小寒、そして21日が大寒、暦を見るだけでも寒くなる季節だ。元日の熊日新聞に「今、昨日は去年となり、今朝は心身真っさらな新年である。・・・年を重ねた今も土いじりができる。誰よりもわたしの涙を知っている土に語り、今年も土と共に生きたい」という天草の山並さん(88才)の声が寄せられていた。自分を支えてくれる自然への感謝の気持ちが淡々と述べられており、清々しい気持ちになった。

 毎年のことだが、新年は老若男女を問わず身心を新たにしてくれる。新学期が始まり学校にも活気が戻ってきた。教室からこだましてくる子どもたちの元気な声が寒さを吹き飛ばす。幸多き一年であることを祈りながら3学期の始業式を迎えた。 ところで、昨年の11月下旬にブータン王国の国王夫妻が来日され話題を集めた。ブータンはヒマラヤの麓に位置し、インドと中国という大国に挟まれた小国であるが、国民総幸福度(GNH)が他の国に比べて極めて高いということで注目を集めている。聞き慣れない用語だが、ブータンでは、GNHをGNP(国民総生産)の概念に代わる国の指標として位置づけ、経済的な豊かさのみを追いかけるのでなく、個人が幸せを感じることができる環境作りに国が率先して取り組んでいる。国勢調査では、国民の9割以上が「幸せである」と回答しているという。教育費や医療費が無料であるとしても、国民ひとりあたりの収入は先進国の10分の1、「お金はないが、幸せいっぱい」という絵に描いたような国家が実現しているのである。最近は、イギリスやフランスの政府でも国民の幸福度について真剣に政治的課題として議論されているそうだが、日本はどうだろうか? 内閣府の調査によると、「幸せを感じている」との回答は全体の1割程度と、先進国の中で最低水準だそうだ。識字率も生活レベルも全ての面でブータンより高い水準にある日本人のGNHがなぜこんなに低いのだろうか? 振り返ってみると、戦後日本は、国全体で高度成長という目標を共有し貧困を脱した。その結果、国民生活は著しく向上したが、時代と共に世代が変わり、生活満足度の基準も高くなってきた。大した苦労もせずに豊かな生活を享受できるという悪しき風潮は若者から精気を奪い、一方では、経済のグローバル化に伴い格差が拡大し、競争に負けた人間は夢すら持てなくなってきている現状にある。成熟化した社会の宿命と言えばそれまでだが、『夢なき国は滅ぶ』のは歴史が示すところだ。 一方、国内事情も不安材料ばかり。東日本大震災の復興や収束不透明な原発事故、長引く不況と円高に伴う企業の海外流出など、年が改まっても「真っさら」というわけにはいかないのが率直な心境だ。

 国民生活白書によれば、家族と一緒に過ごす時間が長い人、隣近所や仕事関係の人と行き来が多い人ほど生活満足度が高い傾向にあると報告されている。希薄化が進む家族関係や地域コミュニティ再生は簡単なことではないが、せめて可能な範囲で前向きに進みたいものだ。天草の山並さんにあやかれば、「年を重ねた今も教育に携われることに感謝し、今年も若者の育成に全精力を注ぎたい」と思う新年である。加えて、日本の指導者の皆さんにもお願いしたい。「どうか、若者が夢を持てる魅力ある施策を実行し、雇用創出にも真剣に取り組んで下さい」と。日本国民の総幸福度(GNH)が少しでも高くなることを期待している。

2011/12/5 月曜日

躾と仕付け

Filed under: おしらせ — admin @ 11:24:27

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第91号

        91-1.JPG  91-2.JPG

               『躾』と『仕付け』 

                             学校長 荒木 孝洋

 小学校5年生の頃、家庭科の授業でエプロンを制作したことを想い出しました。授業は、まず白い布に引かれた線に沿って針を動かす運針から始まります。その成果としてエプロンを作ったのです。縫い目が狂わないようにまず『仕付け』をする。仮にざっと縫い付けていく作業です。その後、『本縫い』をしてエプロンができあがります。『仕付け』に使った躾糸を抜くと、本縫いしたエプロンは何もなかったかのように見えます。 辞書には“裁縫の『仕付け』は『躾』と同義語だ”と書かれています。なるほど、『躾』はその目的も方法も裁縫の『仕付け』に似ています。出来上ったエプロンの優劣が『仕付け縫い』の善し悪しで決まるように、人間を一人前に育てていくためには、『仕付け』つまり『躾』が極めて重要な要素となります。「おはよう、ありがとう、ごめんなさい」の「挨拶、謝辞、お詫び」がその第一歩です。躾がすっかり身につき、ごく自然に振る舞うことができるようになると、躾糸は抜かれ、自分で判断し行動を選択し世渡りをすることになるのです。また、『躾』という字は「身を美しく」という意味合いがあり、日本独特の伝統的な教育方法を示す言葉です。一般的に、世間では『躾』は生活面のことだと理解されている方が多いかもしれませんが、それは幼少期の『躾』のことです。

 学校教育では、幼・小・中・高どこでも、“徳・体・智の錬磨”を教育の根幹に据え、三つの側面から『躾』、つまり、『習慣形成』を行っています。知的な面からの学習習慣、徳育の面から生活習慣、体育の面からの運動習慣の三つです。授業や部活動、学校行事のいずれも『躾』と称した“徳・体・智の錬磨”です。最近は、これに言語や体験を加えるケースも増えています。

  ところが最近、この躾に異変が生じている気がします。一つには、いきなり『本縫い』をし、『躾縫い』がされていないケースです。大人になっても、挨拶ができない、「ごめんなさい」が言えない、教えてもらっても「ありがとう」が言えない、分数の足し算ができない、さらには、携帯依存症、躾と称する幼児虐待事件の多発(学習習慣や生活習慣の欠如)・・・。つまり、『仕付』がおざなりのまま本縫いしたから型が崩れてよれよれになっている状態です。二つ目は、逆に、仕付け糸をいくつになっても付けたままのケースです。自分で何も決められない指示待ち人間、保護者がいないと外も歩けないといった類です。躾糸が強すぎて、『本縫い』として身につけるべく「活用力」「探求力」「思考力」「判断力」「コミュニケーション力」などの能力が育ちにくい状態です。

 二つのケースはいずれも極端な例かも知れませんが、立派なエプロンを作る手順と同様に、教育に於ける躾の手順としては不適切・不条理な状態でしょう。 一方、社会のグローバル化に伴い価値観も多様化しています。『仕付け』についても多様な考え方があり、「躾は不要だ。それぞれが育てればよい」と主張する人もいますが、逆に、価値観が多様化すればするほど社会行動の共通の基盤や基層となる『躾(仕付け)』は不可欠になると思われます。キーワードは「急がず・甘やかさず」です。

 文徳学園は3年間あるいは6年間、子どもの成長の差違を認めながら、学習習慣・生活習慣・運動習慣の『仕付け縫い』の時間をタップリ与えます。それが『生きる力』(活用力、探求力、思考力、判断力、コミュニケーション力など)を育むためには極めて重要であると考えるからです。 

2011/11/18 金曜日

坂の下のユートピア

Filed under: おしらせ — admin @ 9:13:49

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第90号 

      90-1.JPG     90-2.JPG   

            『坂の下のユートピア』

                          学校長 荒木 孝洋 

 戦後の日本人に大きな影響を与えた小説の一つに司馬遼太郎さんの長編歴史小説『坂の上の雲』があります。封建の世から目覚めたばかりの日本が、登っていけばやがてそこに手が届くと思い登っていった近代国家というものを、「坂の上の雲」になぞらえてつけられた題名です。主人公である秋山好古・真之兄弟と正岡子規の3人が、自ら国家の一分野を担う気概を持って各々の学問や専門的事象に取り組む青春群像小説です。後半の日露戦争に関わる記述については賛否両論ありますが、はるか高みの雲を目指して、営々と坂を上り続けてきた明治人の姿は、戦後の焼け跡から始まり、高度成長を成し遂げた世代にも通じるものがあり日本人の必読の本だと思います。 小説の舞台である明治中期は、若者の進路選択の幅も今と比べるとはるかに狭いものでしたが、若者の悩みには現代の若者と共通のものがあります。「どう生きたらよいか?」「将来はどうなるのか?」といった悩みは、秋山兄弟の時代と変わらない悩みです。開国という時の流れの中で、当時の若者が自分の生き方を模索し苦悩しながら、どのように進路を選択し生きていったかを知るうえでは共感できる作品だと思います。また、この作品は映画化されテレビでも放映されていますから、作品を読むのに気後れする人は、まずは映像から入ってみることもよいでしょう。そして、明治時代の人々の暮らしや人々の考え方・生き方、そしてこの時代が今の日本にどのような影響を与えたかを知るとともに、これからの日本の在り方を考える素材にして欲しいと思います。

 ところで、2010年の内閣府の発表によると、日本が42年間死守し続けてきた国内総生産(GDP)世界第2位の経済大国の座を人口12億の中国に明け渡したそうです。もっともそんなことは既にわかっていたことで、国内外ともに大きな混乱はありません。高度成長が永遠に続くはずもないし、どんな長い坂もいずれは登りきり、坂の上に着いてしまえば今度は坂を下らなければならないことは明らかです。すごすごと惨めに坂を下っていくのか、それとも胸を張って坂を下っていくのか。それを決めるのは君達若者です。日本は東日本震災後、その復興予算の捻出方法や原発事故に伴うエネルギー問題の見直し、さらには貿易完全自由化を前提としたTPP(環太平洋連携協定)への参加問題など大きな岐路を迎えています。頭上の雲を眺めてじっとうずくまっているわけにもいかないのが少子高齢化社会の宿命ではないでしょうか。

 今の日本人に必要なのは、前を向いて堂々と坂を下っていく覚悟であり、経済的、物質的な成長ばかりが目標でないことを認めることではないかと思います。生活は貧しいけど、国民総幸福量(GNH)世界一のブータンのように、求めれば、坂の下にもユートピアはあるはずです。若者が、21世紀の日本丸の船頭として、自らの進むべき方向を模索しながら日本の新たな道を開拓してくれることを期待しています。「坂の上の雲」を目指した秋山兄弟や正岡子規等の一途な気概や気骨の中に「坂の下のユートピア」を創るヒントが見つかるかもしれません。 

2011/11/3 木曜日

先生の資質・資格とは

Filed under: おしらせ — admin @ 8:11:55

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第89号   

      

       89-1.JPG  89-2.JPG

         『先生の資質・資格とは?』

                      学校長 荒木 孝洋

  教師の不祥事や学力低下論を背景に「先生の資質」論議がかまびすしい。民主党は政権交代に臨んで「教員養成6年制」を掲げたし、自民政権は「免許更新制」を残した。最近は、教員免許を国家試験でという話ももちあがっている。いずれの改革も、先生養成にハードルとチェックを増やせば質が向上するという考え方が強くなっているように思える。古来より教育現場で続いてきた先輩が後輩を指導するよき風習は廃れてしまったのだろうか?「資質向上」に異存はないが、試験や研修の量がそれを約束するわけではない。

 学校教育の目的は、子どもたちが人間としてよりよく成長していくことを願って、一定の資格と資質を持った大人が助力していく作業である。幼少期の子どもに求められる教師の役割と十代後半の高校生に求められるそれは、その根幹は変わりないが、求められる資質や教え育てる内容は変わっていく。高校では躾よりも教科の専門的知識とその指導力が強く求められるが、初等教育においては、未熟で不安定な子どもの心理状態を上手に受けとめながら指導する生活指導に重きが置かれる。子どもの年齢によって、教師に求められる資質が違うのに、すべての教師に同じシステムの「教員養成6年制」を適用するのは当をえているであろうか。例えば、幼稚園の先生になろうとしても、高校卒業後6年間も学ばなくては先生になれないとなれば、子どもが大好きで一緒に遊んだり折り紙を教えるのが夢の高校生の多くは別の道を選択するに違いない。また、6年間学費を払う経済力のない学生は門前払いされるし、同じ資格でも需要が多い医師や薬剤師と違い、6年間学んでも「新規採用なし」ではその資格がいかせないとなれば、優秀な人材は他へ職を求めることになる。人材枯渇が目に見えている。既に、大都会では改革とは関係なく教師志望者が減少し募集で苦労している話も漏れ聞く。

 ところで、今回の改革は、世界で最も学力が高いと言われるフィンランドをモデルとしているのだろうが、日本とフィンランドの教育事情は大きく異なる。フィンランドでは、教師の基礎資格は6年修業だが、大学院まで学費は無料、教師の社会的評価も待遇も日本より高い。しかも、進路選択や生活指導、放課後の習い事などは家庭の責任であるから教師は教科指導に専念できる。教科書選定もシラバス作成も教師の責任で行われ国は関与しない。教師は国の教育方針「健全な納税者を育成する」ことに全責任を持って教育にあたっているそうだ。元来、日本人は勤勉で実直だから、未熟な若い教師でも先輩の教えで立派な教師に成長することが多い。高校生ともなると、社会の縮図のようないろいろな持ち味の教師がいて、子どもたちはそこに「世の中」を感じ取って大人に成長していくことが多い。改革のあるべき方向性は、養成期間の長期化とか、知識を測る国家試験といったことばかりでなく、教育者として資質に富んだ者をひとりでも多く呼び込む策を構築することだと考える。もちろん、子どもに愛情のない教師や学ぶ意欲に欠ける教師や専門知識が不足する教師は即刻退場してもらうことが前提だが・・・。 

2011/10/14 金曜日

親の期待値を越える

Filed under: おしらせ — admin @ 11:25:59

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第88号 

       88-1.JPG 88-2.JPG

           『親の期待値を越える』

                       学校長 荒木 孝洋

 『這えば立て、立てば歩めの親心』、いつの時代も、歳がいくつになっても、親の我が子に対する思慕の情と期待は変わりません。子供は乳児、幼児、園児、児童、生徒、学生と呼び名を変えながら成長していきます。人も含めてすべての動物の成長に“早い遅い”はつきものですが、「発育が悪い」「言葉が遅れている」「数学ができない」などと、我が子のことになるとつい他と比較してしまいます。しかも、高校生ともなると、親の忠言を素直に聞かなかったり、聞いても生返事、時にはとんでもない方向に進もうとする場面もあり、こんな時、親は子育てに自信をなくしたりもします。「子供は親の思うとおりには育たない」と実感するのがこの年齢ではないでしょうか。

 文徳高校は、こんな悩める世代の中高生を1400名預かっています。私たち教職員から見れば、個性豊かないい子ばかりです。そんな子供のひとり一人の個性を精一杯伸ばしながら、『親の期待値を越える子供を育てる』ことが本校教育の最大目標です。『エッ、この子が○○大学に合格したの!』と、親さえも驚愕する子供を育てたいのです。子供が高校を卒業するときに、進学希望ならば、卒業証書一枚ではなくて大学合格通知を添えて、就職希望の生徒には、生涯安心して働ける職場を斡旋して送り出したい。それができなければ本校の存在意義はないと思っています。 ご承知の通り、熊本の私立高校の実態は、一部のスポーツ特待生を除いて、「公立がダメだったから私立に行く」という生徒が入学してきます。本校も例外ではありません。本校では、まず、「負け犬根性を払拭すること」、「感謝の心を育むこと」から研修が始まります。負け犬根性とは自尊心の喪失状態を指します。中学校までは、自分で勉強できない勉強に向かないと思っている生徒でも、半年くらい手をかけると変身します。大人達は、「たかが高校受験を1回失敗したくらいでそんなにしょげるなヨ。将来を決定づけるほどの大事ではない」と片付けてしまいますが、子供にとってのショックは思いの外大きいのです。教育の本質である学ぶことを通して、「勉強で失敗した子は勉強で勝たせる」、自信回復にはそれしかないと思っています。「やればできる」という自尊心がが回復すると目の色が変わり、学校に行けるのは「親のおかげ」とわかると他人に優しくなります。失敗をバネにして栄冠を勝ち得た子供の笑顔は最高です。

 ところで、企業を支えるのは「金ではなく人だ」と言われますが、学校現場もしかりです。本校では次代を担う若手教員の育成にも力を注いでいます。東大入試問題研究、研究授業、他校訪問や校外での研修、衛星放送による研鑽・・・。若い先生が頑張らねば文徳50年の歴史が途絶えます。長年の教師経験から、“教師として身につけなければならないこと”(若い先生への激励を込めて)がふたつあります。一つ目は、自分の教えるべき教科の内容を、丁寧に、きちんと分かり易く、しかも、面白く教えることができるようになること。もう一つは、さまざまな状況にある子供をトータルに把握し、指導・助言・サポートができるようになることです。同僚や保護者とうまくやっていく力はその後でよいのです。どんなに雄弁に語ろうとも、子供への愛情とこの二つの力がなければ信頼を失います。コミュニケーション力があればどうにかなると思っている人は教師には向きません。教師の本分は『子供と向き合うこと』です。 文徳で学ぶ期間はわずか3年ですが、建学の精神である「科学的思考のできる人間の育成」を目指し、生徒の未来を切り拓いてやりたいと真剣に考えています。少子化の中、年々子供の数は減少し、本校もこのまま定員を維持していけるかどうかわかりませんが、「元本(授業料)に利子(付加価値)をつけてお返しする」、つまり、お預かりしている子供を「親もタマガル人間にしてお返しする」ことが本校のミッション(使命)です。文徳学園は「面倒見のよい学校」から「偉大な学校」に脱皮しています。

次のページ »

HTML convert time: 0.784 sec. Powered by WordPress ME