2007/12/14 金曜日

返球

Filed under: おしらせ — admin @ 9:30:19

        1214rose2.JPG  1214rose1.JPG      

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ

『 返 球 』

校長 荒木 孝洋

  多くの親の願いは、大筋それほど違わないと思う。どの親も、わが子が多くの人に支えられながら誠実に働き、家族をつくり、幸せに暮らすことを願っている。悲惨な戦争の報道を見ていれば、銃を持って戦場に出かけるような人間や社会にだけはしたくないと思う。母親を殺す事件が起きれば、家族に何でも話せて一緒に解決していけるような子どもであって欲しいと願う。また、いじめ事件やいじめられ自殺が起きれば、いじめたりいじめられたりしない優しく強い子であって欲しいと願う。学校からもらってくるテストの点数が悪ければ、何とか賢くなって欲しいと願う。

▲しかし、現実社会の中では、さまざまな情報や事件を通して親の願いは揺れ、時には過剰な期待となって子どもに重くのしかかる。どの子どもも例外なく親の願いや期待に応えようと思っている。しかし、子どもは抱えきれない願いをあまり要求され続けると、いつかは行き詰まる。余分な重石をすくいとってくれる受け皿が子どもにも親にも必要な気がする。

▲ある小学4年生の作文を抜粋して紹介する。

『私は、とっても、勉強ができない。なぜかと言うと、先生の話をちゃんと聞いているけれど、どうしても忘れてしまう。おぼえていたとしても、ちょっとしかおぼえていない。私はいつもいつも私はバカだと思ってしまう。勉強だけだったら、ちょっとはいいと思ったけれど、私は運動もできない。とび箱だって、私はちょっとしかできない。でも、それだけだったらまだよかったかもしれない。だって私は、ピアノとそろばんをやっているけど、ピアノの先生は、とっても優しい先生なので、合格をしたら、お母さんが「ごうかくしたかい?」と言ってきて、私は「うん」と言ったら、「うそやーあの先生はあまいもん!あんなにへたくそやってんにー」と言った。私はなにも言えなかった。そろばんの時だって5級の試験に2回も落ちてしまった。そしてお母さんが「あんたはただお金つかっとるようなもんね!はようかりまっし!まさよし(弟)にぬかされるぞ!」と言われた。私は少し泣いてしまった。勉強は、もうなにもかもやめたいとおもうようになった。ならいごとだってやめたいと思った。私は、なにもしたくなくなってきた。しゅくだいだってしたくなくなってきた。・・・・私は「どうしてのりちゃんはあたまがいいんだ?」と言った。だって、うらやましかった。私も頭が良くなりたい。それを聞いていたお母さんが「のりちゃんは努力しているから!」といろいろ言われた。その中にゆるせない言葉があった。「あんたみたいに、努力しない子じゃないの!」と言われた。私はいくらお母さんでも許せなかった。泣きながら自分の部屋に入った。そして、私は、小さな声で「私だって努力しているのよ!なにも知らないくせに!努力しているけどわすれてしまうんだよ!」と言った。私は、なにも私の気持ちを知らないのに、勝手にきめられたのが、とってもいやだった。』

▲親子の場合は血が繋がっているという安心感から、言葉が単刀直入になったり、叱咤激励するだけで終わったりしてしまう場合が多い。子ども自身が親の期待に応えて頑張ろうとしている中で、どんな悲しみや発想や願いを持っているか、子の内面を見つめながら言葉を返すことが重要だと思う。どの家庭も、野球に例えると、親がピッチャーで子がキャッチャーというケースが多い。いつもストレートのスピードボールばかりを受けていると、子の心は萎えてしまう。時には親がキャッチャーになって子どもの球を受けてみるとよい。しかも返球が大切だ。返す言葉に精魂込めて子育てにあたりたいものです。表情、言葉の抑揚、共感のうなずきも大事な要素だと思います。上記の作文〜〜〜〜  のお母さんの言葉、皆さんだったら、どんな言葉を書かれますか?

2007/12/4 火曜日

手で考える

Filed under: おしらせ — admin @ 9:45:16

      kou2.JPG   kou1.JPG

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ

『手で考える』

校長 荒木 孝洋

▲生まれたばかりの赤ん坊は、手で触ることによってさまざまなことを覚えていきます。大人が「触ってはダメ」と言っても何でも触ります。きれいなもの、汚いもの、固いもの、やわらかいもの。昆虫の触角と同じで、触ることで外の世界に接し、自分の興味をはかっているのでしょう。

▲授業中、生徒達がノートにいろいろなことを書くのも『手を使う』ことによる大切な表現です。教壇に立って教える側からすると乱雑で汚いノートは気になって仕方がありませんが、実は生徒自身にとっては、お喋りと同じように試行錯誤の大事な場所なのです。ノートは板書を写すだけではなく、授業を聞いて思ったことや考えたことを書きつけておく貴重な場所でもあります。最近はワープロが普及し、キーボードを叩くだけで、どんな難しい漢字も瞬時に画面に現れます。せいぜい画面に並んだ選択肢から選ぶのが関の山、辞書を片手に悪戦苦闘しながら書いた手紙やはがきの時代はいつ終わってしまったのでしょうか。萩原朔太郎の作品の中に「公園の椅子」という詩があります。その一節に、「『復讐』の文字を刻みたり」という言葉があります。彼は鬱々とした時代に、人気のない公園のベンチに、『復讐』という文字をナイフで刻んだのです。画数の多い字ですから刻むだけでも大変な労力が必要だったはずです。そこまでして刻みつけたい復讐の思いとは、どんなものだったろうかと考えてしまいます。“ふくしゅう”とキーボードを叩けば復讐という漢字は即座に出てきますが、その程度で書ける復讐と、朔太郎の言う復讐は、言葉にこめる思いの深さが違う気がします。

▲文徳中学校では、11月2日に文化発表会を行いました。意見・体験発表、演劇の台本作り、お茶席の設置、壁新聞、プラネタリュ−ム・・・キャリア教育の一環としてすべて手作りで行いました。プラネタリュームの天球も生徒達は四苦八苦しながら段ボールを張り合わせて作りました。収容人数もせいぜい10名がやっとです。セロファン紙に星座を貼り付け、懐中電灯で照らしながら回転すると輝く星座の世界が登場します。天の川、北斗七星、白鳥座、オリオン座、いて座・・・遠い遠い昔、目を輝かせて見上げた星空が鮮やかに蘇りました。手作りは時間も手間もかかりますが、試行錯誤の体験の中で心に刻み込まれたものは年を重ねても消えることがありません。そして、人生の岐路に立ったとき無意識のうちに決断に大きな影響を与えていることがよくあります。

▲ところで、手がつく言葉にはいいものがたくさんあります。『手塩にかける』『手を尽くす』『手間をかける』『手当をする』。 日本の文化は手を使うことにより発展してきました。手で文字を書く、手でモノを作る、手のぬくもりを感じる・・・『手で考えた言葉』からはその人の体温が伝わってくるようで心が安らぎます。子供も小学生も中学生も高校生も大人も取り戻すべき大事なことだと思います。

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.