2008/12/26 金曜日

サンタクロース

Filed under: おしらせ — admin @ 9:59:01

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ

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               『サンタクロース』

                               学校長 荒木 孝洋

 初日の出を拝む人は多いけれど、大晦日の最後の夕日に手を合わせる人はいません。過ぎ去った一年を振り返ってみると、楽しいことばかりではなく、きついこと、イヤなこともあったかもしれませんが、多くの出会いが今の自分を創っていることに感謝し、時には夕日に手を合わせて「おかげさまで」と、祈りたいものです。

 ところで、今日25日はクリスマス。毎年この時期になると、アメリカのどこかで次の記事が話題になるそうです。それは、100年前のニューヨーク・サン新聞社の社説です。掲載されている内容をかいつまんで紹介します。

 「私の友達に『サンタクロースなんていないんだ』と言っている子がいますが、サンタクロースって本当にいるのですか」という8才の子どもの質問に、新聞社は次のように答えています。「あなたのお友達は間違っています。サンタクロースがいるというのは、決してウソではありません。この世の中に愛する人への思いやりや真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。あなたのように可愛らしい子供のいない世界が考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて想像できません。サンタクロースがいなければ、人生を和らげてくれる子供らしい信頼も、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょうし、私たち人間の味わう喜びは、ただ見えるもの、手で触れられるもの、感じるものだけになってしまうでしょう。(中略)サンタクロースを見た人はいません。けれどもそれはサンタクロースがいないという証明にはならないのです。それは子供の目にも、おとなの目にも見えないのですから・・・」。

 この社説はふたつのことを問いかけていると思います。一つは、『物が存在するとということはいったい何なんだろう』ということです。物事の存在には二種類あります。目で見たり、手で確かめることのできる存在がまずあります。しかし、見たり触ったりできない物もあります。夢や希望、そして友情や愛情などの精神的な働きの存在は手で触って確かめることはできませんが、できないからといって存在していないとは言えません。むしろ、直接的な感覚で確かめることができないものの方が大切な存在であると言えます。このように、サンタクロースは直接見える存在ではなく、いわば心の目で確かめられる物だという考えが、この社説では強調されています。もうひとつは、『誰でも誰かのサンタクロースに成れる』と言うことです。子ども達に夢や希望を与えてくれる存在であり、悩んだり、苦しんでいる人の心を和ませてくれる存在がサンタクロースであると言うことです。

 世の中が豊かになり、お金さえ出せば何でも手に入る風潮のある時代、世の中にもっとも必要なのはサンタクロースかもしれません。社説の最後には「目に見えぬ、輝かしい世界への幕を開けられるのは、信じる心、想像力、詩、愛、夢見る気持ちです」と結ばれています。今年もあと一週間で大晦日。普段忘れがちなこれらの事柄について、しみじみと考えてみたいと思います。そして、皆さんにとって来年が良い年であることを願って今年の締めくくりとします。

2008/12/3 水曜日

ありがとう ご免なさい

Filed under: おしらせ — admin @ 9:39:40

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ

『ありがとう、ご免なさい』

                          学校長 荒木 孝洋

 年をとると、涙もろくなります。自分の身体機能が落ちていることには無頓着なくせに、他人のことや昔の話になると身を乗り出してしまいます。テレビから流れる懐メロに涙腺が緩み、小学生の書いた作文についつい感動して涙ぐんだりしてしまいます。今日は障害児の詩を紹介します。人生の重たいテーマである『生きる意味とは』を突きつけられたようで胸にズシンときました。感動の押し売りで申し訳ありませんが、時間があれば読んで下さい。

 作者の山田康文君こと「やっちゃん」は、重度脳性マヒで、生まれたときから全身が不自由で口のきけない子供だったそうです。この詩は、やっちゃんが15歳の時、短い人生の中でたったひとつだけつくった詩だそうです。生きている間ひと言も喋ることができなかった少年が、『生きるテーマ』を詩に著したものです。やっちゃんを養護学校の先生が抱きしめ、先生の言う言葉がやっちゃんの言いたい言葉だったら、やっちゃんがウインクのサインを出し、ノーのときは舌を出す。気の遠くなるような作業によってこの詩が作られたそうです。題は『お母さん』。彼は詩を作ってから2ヶ月後に亡くなっています。

 ご免なさいお母さん ご免なさいお母さん

 僕が生まれてご免なさい  僕を背負う母さんの細いうなじに僕は言う

 僕さえ生まれなかったら  母さんの白髪もなかったろうね

 大きくなったこの僕を背負って歩く悲しさも

 「かたわな子だね」とふりかえる冷たい視線に泣くことも

 僕さえ生まれなかったら

 ありがとうお母さん ありがとうお母さん

 お母さんがいる限り僕は生きていくのです

 脳性マヒを生きていく

 優しさこそが大切で 悲しさこそが美しい

 そんな生き方を教えてくれたお母さん

 お母さんあなたがそこにいる限り

 本校では、規則を破ったり悪さをした生徒に対して訓育指導を行っています。早朝からの清掃作業に始まり、授業中は担当の先生による観察と指導、態度の評価と続き、午後には各先生から訓話を聞く。長い生徒はこの繰り返しが2ヶ月も続きます。最後の総括反省文に共通して出てくる言葉が『感謝』です。指導して頂いた先生に対して、親に対して、「ありがとう、ご免なさい」と。

やっちゃんに比べると心身ともに恵まれている子ども達ばかりですが、高校生になり、自分で何でもできると思う心が悪さをするのでしょう。しかし、やっちゃんと同じように「ありがとう、ご免なさい」の気持ちを持っている限り人は成長していくと思います。いつもそう思いながら、訓育指導を続けています。 

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