2009/3/5 木曜日

別離

Filed under: おしらせ — admin @ 11:36:52

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 

k1.JPGk21.JPG

『別  離』

                          学校長 荒木 孝洋

 

 28日に卒業式を終えた3年生は、後髪を引かれるように、ここ青春の丘を巣立っていった。いつもの光景だが、寂しさをぐっと押さえて見送る教師、「お世話になりました」「お父さん、お母さん、ありがとう」のメッセージに涙する親、明るく屈託のない生徒達。見送る親や教師と見送られる子どもとでは、別離の想いや感慨は少し異なるようだが、荒波に船出する卒業生諸君の前途に幸多かれと祈る。世界同時不況で親も子も不安が募る世情だが、若者には、明治維新を担った若者達のように「気概」とか「向上心」をもって日本丸の針路をしっかりと定めていただきたいと願っている。

 ところで、今も昔も卒業式のスタイルは変わらないが、卒業式から涙が消え、子どもの表情が様変わりしたように感じる。別離の感情を表現するいとまを与えなくなったと考えるのが妥当かもしれない。それは携帯電話のせいだと思う。親指ひとつで、さっき別れた人にメールが送れる。すぐに返信が来る。見送りに行って泣いたり、手を握って別れる場面も必要なくなった。張り廻らされたネットワークは別離さえ許さない状況だ。ジャーナリストの徳岡孝夫さんは月刊「文藝春秋」に「別れが消えた」と題する随筆で「ケータイは人から別離を奪った。別離の後に必ず来る孤独をも奪った」と指摘している。世間は携帯に纏わるトラブル対処法には熱心だが、携帯を媒体とした“つながりっぱなし”の文化が底辺をどんどん広げ、子供の生活スタイルや成長が蝕まれていることには無頓着である。文部科学省の調査によると、携帯電話所持率は小学6年生で25%、中学2年生で45%、高校2年生になると96%になる。しかも、中高生の2割近くが日に50通以上のメールを送受信し、入浴中も就寝中も携帯電話を手放せない子どもがいるという。ケータイは子供から別離の涙だけでなく思索と休息の時間も奪っている。

 もともと人間は各段階で脱皮を繰り返しながら成長してきた。入学式や卒業式はそれにあたる。脱皮の必要条件は孤独だ。携帯のない時代は別離と邂逅の隙間に孤独があった。話す相手のいない孤独な時間は自分と向き合う貴重な時間であったし、そこから、感謝とか共生・協働の意識が芽生えたものだ。食べやすく柔らかいモノばかり食べていると咀嚼力が落ちるように、「便利さ」や「解りやすさ」ばかり求めて子供にモノを与えていると、子どもは大人に脱皮する機会を奪われることになる。本来、子どもは知恵の固まりである。不便とか不自由から人生の在り方を習得して大人になっていくと思う。

 いつか散るから花が愛しいように、別離と孤独があるから人も愛しい。涙しながら卒業式を迎えた昔を思い出すと、携帯のない時代に青春期を過ごせたことを幸せに思うときがある。私は『縁尋奇妙 多逢勝因(えんじんきみょう たほうしょういん)』という言葉が好きだ。人と人の出会いは不思議なことだ。新しい出会いが多いほど人は成長すると言った意味だろう。卒業式と入学式の間はわずかな期間だが、4月には新しい出会いが訪れる。別離の後の出会いに心ときめかせながら入学式を待ちたい。

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.