2010/2/16 火曜日

日本人が忘れ去ろうとしていること

Filed under: おしらせ — admin @ 8:22:17

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第60号                   

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             『日本人が忘れ去ろうとしていること』

                           学校長 荒木 孝洋

 先日、棚を整理していたら、「プロジェクトX」のビデオが出てきました。この番組は2003年に始まり、親が子供に見せたい番組としても有名でした。6年間にわたって200以上のプロジェクトが紹介されましたが、涙を流しながら見たものも随分あります。全てを見たわけではありませんが、いずれも素晴らしいものばかりでした。平成17年12月に番組は終了し、最終回では、その後の生き方が特に印象的だった人物を紹介しています。最終回の番組の中で、本人が語っていた印象的な言葉を抽出して紹介します。 

 《住宅公団の尚明さん》   明るいところにダイニングキッチンを配置し、現在の団地を開発した人。10坪の小さな家に住んでいたが、住宅公団の副総裁まで昇進しながら、「狭い家しか提供できない自分が大きな家に住むわけにはいかない」と、生涯10坪の家で暮らした。

 《医師の宇治達郎さん》 世界で最初に胃カメラを開発した人。32才の時に東京大学の医学部で医師を続けないかと誘いがあったが、「生涯、患者と共に」のモットーのまま、自分が胃カメラの開発者であることを誰にも告げず、地元の町医者として生涯過ごした。

  《瀬戸大橋建設の杉田秀夫さん》 五千人の部下を率い、「男の中の男」、「男が惚れる男」と言われた伝説の技術者。瀬戸大橋建設の途中で、常に一番きついところ、一番危険なところに身をおいた。妻が胃ガンで倒れても仕事では一歩も引かなかった。建設現場から仕事が終わると妻のいる病院に行き、妻が痛いという部分をさすり、病室で休んだ。朝は病院から家に帰り、3人の娘たちの朝食を作った。それからまた建設現場へ。部下たちは、そのことを杉田の妻が亡くなるまで知らなかった。昭和63年4月、瀬戸大橋が開通。しかし、その華やかな式典には杉田の姿はなかった。瀬戸大橋が開通した後は一切現場には立たなかった。再婚もすべて断った。昇進も望まなかった。講演の依頼もすべて断った。ただ、母校の丸亀高校で一度だけ高校生に話をした。カセットテープだけが残っており、杉田さんが話したことは、次のような内容であった。「橋を造るということの経験が、人より多少余計にあったからといって、これは人生の価値とは全く別のことなんですね。偉大なる人生とはどんな人生を言うのかということなんですが、これは非常に難しい問題でありまして、瀬戸大橋を造るよりはるかに難しい」と、話は結ばれていた。

  やたらに目立つのを良しとする風潮や、絶えず自己主張していないと足元をすくわれるような競争社会にあっては、「さりげない」親切とか控えめな振る舞いが霞んで見える。昨今の日本社会を見ると、厚顔で金まみれ、欲まくれの人種が溢れている。恥じ入る気持ちを忘れ去った、いわゆる破廉恥族の横行である。

  古代ギリシャの哲学者プラトンは、こう説いている。「子どもたちに多く残してやらねばならないのは、金ではなく廉恥である」と。プロジェクトXに登場した多くの人たちが感動を与えるのは、繊細な感性に基づくしっかりとした人生観にあるようだ。

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