2010/5/24 月曜日

ナマコの天敵

Filed under: おしらせ — admin @ 13:56:15

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第66号

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                   『ナマコの天敵』
                          学校長 荒木 孝洋
 一ヶ月ほど前の熊日新聞に「天敵を欠いた日本」という記事が掲載されていた。
 伊藤忠商事相談役の丹羽宇一郎氏が、最近の日本人の体たらくな現状について警告を発せられている記事である。
 文の冒頭で、「ナマコは弱りやすく漁師が沖合で捕っても港へ着くまでにほとんど死んでしまうが、そのナマコの群れの中にカニを一匹入れておくと、生きたまま持ち帰れるという。なぜか? カニはナマコの天敵にあたり、緊張するため死なないという。科学的にはナマコの天敵はカニではないようだが、何事も新鮮であり続けるためには天敵が必要だ」と述べられている。
 戦後60年間、日本は諸外国との摩擦もなく、全ての人が平穏に生きていけるセーフティネットの仕組みを作り上げてきた。しかし、平穏な社会にドップリと浸かり、今の日本は天敵のいないナマコ状態、世界の中で日本がどういう立場にあるのかほとんど理解していない気がする。
 例えば、文科省の統計によると、米国への留学生はこの10年間で中国やインド、韓国が大幅に増えたのに対して、日本は約40%も減っているという統計がある。こんな事態は先進国では日本だけだ。因みに、蒲島知事の出身大学であるハーバード大学への日本人入学者は過去最低だそうだ。国内でも、お金がなくて留学どころか大学にも行けない若者が増えている。経済不況でどの家庭のフトコロも厳しいのはわかるが、それだけが原因ではない気がする。海外に挑戦する意欲がないどころか、就職にあぶれても親を頼っていれば大丈夫と、何の不満もない若者が増えるようでは日本の先行きは真っ暗だ。丹羽氏は「ナマコだらけの日本は精神的な鎖国状態だ。カンフル剤がないと日本丸は沈没してしまう。このような状況を打破するには、政治家も経済界も協力が必要だ。すぐにできることもたくさんある。例えば、企業は、留学して経営学修士を取得して帰国した学生には給料を2割UPするとか、新卒者の採用時期を4年生の夏休み以降にする」と述べられている。同感だ。外国で勉強しても、帰国したら仕事がないでは学習意欲が萎える。まして、大学3年生で就職活動するようでは勉強する時間もない。それでは、日本の高等教育は崩壊してしまう。 
 一方、とんでもない天敵が教育界には忍び寄っている。ある通信制高校の生徒募集のキャッチフレーズだが、『年4日の登校でラクラク卒業! パソコンコース、通学コース、携帯コースと、コースも自由に選べます』。携帯コースの説明は、「レポートは選択問題。モニター画面の選択肢を選び、携帯で送信すればOK、正解・不正解が即座に判定される。お茶を飲みながらでも、寝転がっていても学習できます」と。心身不調で通学できない人や生涯学習の視点からすると、多くの人に学習の機会が提供されることは大切なことだが、『楽して高校を卒業したい』と思う若者と『人件費も校舎も最小限で済む』と考える経営者の利害が一致するととんでもない高校生が生まれる。性善説に立つと規制緩和は正しい方向だが、残念ながら、この高校は性悪説で進行している。無理させること、我慢させること、友人との切磋琢磨は成長段階の子どもには欠かせない大事な教育活動だ。それをするのが学校や家庭や社会の役割だと考える。 
 弱肉強食の動物の世界ではカニがナマコを食うかも知れないが、『絆』を基盤にした人間社会は違うはずだ。悪知恵の働く大人が子どもの生命や高い志を餌食にしていくようでは日本に未来はない。

2010/5/14 金曜日

オブラート

Filed under: おしらせ — admin @ 11:42:39

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第65号

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                     『オブラート』

                     学校長 荒木 孝洋

 澱粉にゼラチンを混ぜると、セロハンのように薄い透明の膜ができる。オブラートだ。最近はほとんど見かけなくなったが、昔はオブラートに包まれたお菓子が結構多かった。上顎にくっついたオブラートが溶けると本体の甘いお菓子が表れる仕組みである。瞬間ではあるが、お菓子の味に行き着くまでの余韻が何とも懐かしい。一方、最近の言葉はどうかと考えると、オブラートに包まれた表現をする人が増えた気がする。「・・・かもネ」と、直接的な発言を避ける若者言葉もそうだ。政治家がよく使う「申し訳なく思います」でも、なぜ「申し訳ない」と言わないのだろうか?オブラートの「思う」はいらない。昔は悪さをすると「○○○してはいけない」と、親から頭ごなしに怒られたものだが、今は「○○○しないほうがいいんじゃない」と婉曲的に注意する親が多くなったと聞く。食べ物と違って、言葉はオブラートが多過ぎると物事の核心が見えなくなってしまう。 

 エッセイストの岸本葉子さんの話だが、中学時代の国語の先生に「思う」「感じる」「考える」と言う言葉を使わずに作文を書くように言われたことがあるそうだ。示唆に富んだ指摘だ。振り返ってみると、私たちは日常の会話や文章の中でも「感じる」「思う」「考える」と言う言葉を無意識のうちに発していることが多い。辞書によると、「思う」は、胸の中で単純な一つの希望や意思・判断を表わすとき用いる。「考える」は、あれこれと比較した上で結論を出したとき用いる言葉、と標記してある。確かに、思索や試行錯誤には「思う」「考える」は重要な要素だし、対人関係をスムーズにしたり、表現を軟らかにする効用もある。しかし、「思う、感じる、考える」は、いずれも文脈からするとオブラートのようなもので、内向きの言葉であり外への発進力が弱い。「思う、感じる、考える」ばかりでは前に進めない。想い出してみると、何かを始めたり決断したときは「思う、考える」のオブラートがとれた時だった気がする。「言葉が行動を変える」と言った人がいるが、言葉が決断を促すことも結構多い。決断とは文言から「思う・感じる・考える」等のオブラートを取ることかもしれない。 

  本校出身のオリンピック選手藤本貴大君の言葉にはオブラートが少ない。「頑張ります」「練習はきついけど続けます」と。彼にも「思う」「感じる」「考える」といった試行錯誤の時間があったはずです。オブラートを取った彼の言葉を聞いていると、「やる」か「やらないか」の選択が決断だとつくづく思う。「申し訳なく思います」より「申し訳ない」とした方が相手との距離感が縮まり誠意も伝わる。 「私は学校が汚いと感じる」、「私はそれが正しいと考える」、「君のやっていることは間違っていると思う」だけでは発展性がない。オブラートの「感じる、思う、考える」をとると、「学校が汚い」「それが正しい」「君のやっていることは間違っている」となる。そこで、「だったら、どうすればよいか」と新たな考えや知恵が出てくるし、周りの人への感謝も生まれてくるのではなかろうか。思索と決断がいったりきたりするのが人の常だが、岸本さんに出された宿題の回答は、「人生は5Kの循環です」となる。『KANZIRU(感じる)』、『KANGAERU(考える)』、『KETUDAN(決断)』、『KEIZOKU(継続)』、『KANSYA(感謝)』。特に、成長期の若い人たちにとっては、オブラートを付けたり、外したりする作業は大切な学習のひとつだと思う。言葉が行動を変え、行動が習慣化すると人格まで変わる。人格が変わると人生まで変わってしまうからだ。

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