2010/7/27 火曜日

お盆

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第70号

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       『お盆〜いのちを知る〜』

              学校長 荒木 孝洋

  インターネットという言葉を聞くようになって随分日が経った。当初は驚き、戸惑っていた人たちも、今では情報の入手や連絡のやりとりなど、暮らしの中で当たり前のように使っている。人と世界を、人と人とを、インターネットは飛躍的なスピードで近づけた。張り巡らされた網を使えば、簡単に世界中の人々とつながることが可能になったわけだ。

 こうしたグローバルな広がりの一方で、私たちの身近なところに目を向けると、皮肉なことに、どんどん「個の時代」が進んでいる。地域からご近所付き合いという言葉を、以前ほど聞かなくなった。都市部では、家の造りも個室化が進み縁側のある家はほとんどない。家庭でも、家族が揃って過ごす時間も減少していると聞く。私たちがオモイオモイに暮らすようになって、地域や家庭から人と人の結びつきが消え始めているようだ。

 さて、もうすぐお盆だ(旧暦の)。正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、先祖の霊を家に招いて供養する行事だ。期間は旧暦や月遅れなど地域によってまちまち。昔は、一家総出で墓を掃除し、花を飾り、先祖を迎える準備をしたものだ。同じ休日でも盆と正月は特別な日だった。遠くで働いている家族も故郷に帰り、「一家そろって」というのが一般的だった。お盆の意味なんかわかるはずもない幼き子供は、親族が集まるだけで浮き浮きしたものだ。夜になると、部屋中に蒲団が敷き詰められ、子どもたちは重なり合うようにして寝る。さながら、修学旅行並みの賑やかさだった。ところが、今はどうだろうか。「何時でも会える」「いつでも繋がる」という安心感と引き替えに、そうした習慣も意識も薄らいでいるのではなかろうか。進歩進歩と、人間社会のすべてが日進月歩で、進歩の最先端にいる者がもっとも優秀で重要であると思われがちだが、はたしてそうだろうか。いかに科学や技術が進歩しても変わらぬのが人間の一生である。いかなる人間も、『一代かぎりの生き物』だし、親から子へと『いのち』を繋ぎながら今の自分がある。もちろん、各々の時代に生きた人々の生活環境や携わった仕事、得た収入などはそれぞれ違うが、その間、考え、願い、求めてきたものはほぼ同じである。幼いときは母に甘え、親に育てられ、やがて長じて異性を恋し愛して子供を生して育てていく。そして、子供の成長とともに老いを覚え、孤独にとらわれ、やがて死んでいく。子供の一生も、親とは関係なくまたその繰り返し。人は皆、歴史の流れに寄り添いながら生きていくことが求められるが、同時に、人の一生には『進歩はしないが、最も人間らしい世界がある』ということを忘れてはならない気がする。

 私も故郷を離れて45年。毎年、この時期になると、年老いた母から「お盆はいつ帰るとかい?」と電話がかかる。「お盆は先祖の供養をするだけでなく、遠い先祖から引き継がれた『いのち』を見つめ直す機会だ」と考えてのことだろう。今、さまざまな所で論じられている『いのち』の問題。忙しい毎日だが、せめてお盆には、家族が集まり、お互いの息遣いを通して『いのち』の繋がりや意味を確認したいものだ。

2010/7/8 木曜日

至福のひととき

Filed under: おしらせ — admin @ 8:08:14

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第69号

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              『至福のひととき〜朝飯前〜』 

                       学校長 荒木 孝洋 

 外山滋比古さんの作品「思考の整理学」に次のような一文がある。「人間はいつからこんなに夜行性を強めたのであろうか。もちろん昼間働くのが常態であるが、こと、知的活動になると、夜と決めてしまう。“灯火親しむの候”などという言葉は電灯のない昔から、読書は夜するものという考えがあったことを示している。現代の若者は、勉強は夜でないとできないものと決めてかかっているようで、『朝の勉強が効率的だよ』なんて言おうものなら、老人くさいと笑われる。・・・」と。同感である。私は、朝5時になると眼が覚める。女房はまだ夢の中。朝が早いのは加齢だけでもない。早起きは中学時代から続いている。トイレを済ますとまずお湯を沸かす。お茶を飲みながらおもむろに新聞を広げる。至福のひとときだ。面白い記事があればノートに書き写し、ついでに関連して思い浮かぶことを書き記す。家を出るまでタップリ2時間はある。原稿を書くことやカバンの整理もこの時間が最適。私にとっては、一日で最も充実した時間だ。 

 ところで、『そんなことは朝飯前だ』という言葉がある。辞書を引くと〔朝食を食べなくてもできてしまうほど容易なこと(明鏡国語事典)〕と書いてある。でも、そうかな?簡単なことだから、朝飯前なのではなく、簡単でもないことがさっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と呼んだのではなかろうか。朝の頭はそれだけ冴えているから能率がいいと言うことだと思う。誰でも経験したことだが、手紙もそうだ。夜中に感情的に書いた手紙も、朝の頭で再考するとガッカリすることが多いけど、全てを拒むわけではない。朝の脳味噌は楽天的で、いいところがあれば素直に認めるおおらかさもある。

 猛獣を訓練するのは、空腹の時に限るそうだ。腹がふくれたら動物は動かなくなる。動物は人間よりも自然の理に忠実なのである。終日走り回っている赤ん坊も動物と同じ。眠くなるとメシを食べながらでも眠ってしまうが、大人は意思を働かせて無理をする。眠くなっても眠るまいとする。と考えると、食事前の朝の仕事の方がはるかに自然である。熟睡したあとの爽やかな朝、朝食前の仕事こそ本道を行くもので、夜、灯をつけてする仕事は自然に逆らっている。若いうちこそ、体も元気だし、粋がってその無理をあえてする。ところが、年をとってくると、無理が利かなくなり自然にかえる。 文明の発達と共に人間は自然に逆らうような生活をするようになった。24時間交信できるインターネットや携帯に大人も子どもも振り回され、24時間営業のコンビニは日本人から空腹を奪ってしまった。テレビは終日放送、これでは寝る時間もない。ものを考えるのに、時間を選ぶことはないと思っている人が少なくないけど、ものを食べたあとがよくないのははっきりしている。体が疲れたときも適当でない。だとすると、寝て疲れをとったあと、腹に何も入れていない、朝のうちが最高の時間であることは容易に理解できるはずだ。最近、心身不調を訴える若者が増えている。「早寝・早起き・朝御飯」、お天道さま(太陽)を基準にした生活こそ人間回復の最良の手段ではなかろうか。文明の利器とのお付合いもホドホドにして、原点に返ろうではありませんか。

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