2010/11/18 木曜日

大人の責任

Filed under: おしらせ — admin @ 12:05:32

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第75号            

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         『大人の責任・子供の自助努力』

                       学校長 荒木 孝洋

 毎週日曜夜8時からNHKテレビで放映されている『龍馬伝』は、「開国するか、鎖国を続けるか」と激論を交わす若者たちの姿を描いている。ドラマとはいえ、命を賭けた幕末の志士たちの志の高さには感服する。随分と昔の話のようだが、わずか150年前のことだ。 

 ところで、つい最近、国会で菅総理が「国を開く」と同じようなことを述べている。関税撤廃を前提とした貿易の完全自由化を目指すTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を表明し、賛否両論が渦巻いている。残念ながら、高校生がTPPについて論議している姿や意見を報道しているテレビや新聞は見たことない。幕末に活躍した志士たちの年齢が現在の高校生とあまり違わないと聞けば、ついつい目の前にいる高校生と比較してしまう。転換期を迎えている今の日本の状況について、若者には自らの人生を重ねながらおおいに意見を述べて欲しいと願う。 かつては、「可愛い子には旅させよ」とか、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と若者を世間に放り出して子供を鍛える親も結構多かった。近道を探す若者がいるのは今に始まったことではないが、それを戒めるのがかつての親や大人の役目であった。しかし、今は簡便に快適にそして少しでも早く、というのが親子の共通の願いにさえなっているのではないかと感じる。苦労や失敗や挫折はしない方がよい。今の子供たちはそういうことに耐えられないし、そのように考える大人も多いようだ。「できる限り安心できるような道を選ぶ方が無難だ」、「面倒なことも避けた方がよい」、「手っ取り早く簡単な方法があれば少々金がかかっても手に入れる方がよい」と考える人も多いかもしれない。だから、手軽に、悩まず、失敗しないようにと、親や大人は子供たちにさまざまなものを与えてきた。答も先回りして与えてきた。しかし、そんな子育ても限界点に達した気がする。 

 作家の茨木のり子さん(2006年死去)は詩集『自分の感受性ぐらい』という詩の中で、自己責任が希薄になっている日本人へ次のようなメッセージを送っている。『ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな。みずから水やりを怠っておいて/気難かしくなってきたのを、友人のせいにはするな。しなやかさを失ったのはどちらなのか/苛立つのを、近親のせいにはするな。なにもかも下手だったのはわたくし/初心消えかかるのを、暮しのせいにはするな。そもそもが ひよわな志にすぎなかった/駄目なことの一切を、時代のせいにはするな。わずかに光る尊厳の放棄、自分の感受性くらい自分で守れ。ばかものよ』と。子供たちに問題が生じているとしたら、直接か間接かは別にして大人の責任も大きい。子供たちは育てられたように育つものだ。悪意をもって子供を育てる人はなかろう。しかし、「善意が、善かれと思ってすることが、本当にそれでよいのか?」を、大人の責任として考えねばならない。子供を導く立場の大人には『責任と堪忍』を、子供には『自助努力』を求めたい。高校生は「大人予備軍」である。本格的に社会の扉を開け始めたこの時期にもっとも肝要なことは《自立に向けた鍛錬》だ。混沌とした社会情勢だからこそ世間は平成の龍馬を求めている。「志高く」が指標となる。「世界は、あなたの前に、重くて冷たい扉をぴったり閉めている。それを開けるのは、自分の手で、爪に血をしたたらせて、こじあけるより仕方がないのである」は「暮らしの手帖」元編集長花森安治さんの言葉だ。

 また、吉本喜劇での訓練は「答がわからなかったら、扉が開くまでウロウロしろ」だそうだ。どちらも、社会人になる心構えとして、親も子も心しなければならない警告と考える。

2010/11/2 火曜日

「歩み続けて半世紀」

Filed under: おしらせ — admin @ 14:08:32

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第74号    

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       『歩み続けて半世紀〜式典を終えて〜』

                   学校長 荒木 孝洋

  多くの皆様のご列席のもと、開校50周年の式典・祝賀会を無事終えることができました。ご支援ご協力いただきました多くの皆様に衷心より感謝申し上げます。以下、式辞の一部を記載します。

  ・・・顧みますと、開校当時の昭和36年、日本は戦後復興の真っ直中、3年後に東京オリンピックを控え、高度成長の槌音がこだましていた時代です。技術者養成を目的として電気・電子の2学科から出発し、後に機械・建設科が増設され、技術立国日本を支える多くの優秀な技術者を世に送り出してきました。その後、昭和41年に普通科が設置され、さらに、平成3年には、大学進学を照準においた進特コースが、平成8年には中学校開校に伴い中高一貫コースが新設されました。このように数度にわたる学科改編と校名変更を重ねながら、工業専門教育と普通教育が併存する現在を迎えています。この間、部活動の活躍もめざましく学園関係者に勇気を与えてくれました。野球部の甲子園出場2回、相撲部、ライフル部、男子ソフトボール部の全国制覇、昨年の剣道世界大会で優勝した卒業生の寺本将司選手や冬季オリンピックに2度出場した藤本貴大選手の活躍は特筆すべきことです。また、進特・中高一貫コースでは、東大や医学部をはじめとする難関大学への合格者が徐々に増え、学園全体に文武両道が開花してきたことは、本校が目指すところであり、慶賀に堪えません。 

 ところで、本校の歴史を紐解くとき、本学関係者の誰もが「文徳の歴史は学園創設者中山義崇前理事長の生涯である」と語ります。弱冠25才の前理事長が本校の前身である電波塾を創設されたのは、物不足・人材難の戦後の混乱期、昭和24年です。「祖国日本の再建を教育に託したい」と、15坪の敷地を九品寺の一角に求め、生徒数わずか28名の小さな私塾からスタートされました。その後、時代の変化を見据えて様々な改革を実行され、50年経った今、中学・高校・大学・専門学校を併設した総合学園となりました。「濫觴大河となる」という例え通り、はじめは盃から溢れ出るようなわずかな水が、木の葉の下をくぐりながら、激動の半世紀を流れ続け、多くの関係者のご尽力で滔々と流れる大河となったわけです。先生の慈愛に満ちた人間味溢れる人柄と教育的情熱については、等しく皆が知るところであり敬愛するところでありまして、激動の戦後を文徳学園とともに歩まれ、多くの有能な人材を育成されました。残念ながら、開校50周年を見届けることなく、平成15年11月、病のため79才の生涯を終えられましたが、先生から薫陶を受けた卒業生は一万七千有余名、多士多彩の高い志を抱いた面々は、国内外を問わず様々な分野においてその個性と能力を発揮し活躍されています。 そして、この精神は中山峰男理事長に受け継がれ、次の半世紀に向けて新たな改革が始まりました。記念事業として完成した新校舎には、理事長の教育理念である『仁愛の心』という新しい校風が芽吹いています。快適な学びの環境を活かしながら『知性と感性を育む教育』をさらに推進したいと考えております。

  さて、生徒諸君、諸君は開校五十周年という半世紀に一度の記念すべき年に在籍しましたが、この本校との出会いを大切にしていただきたいと思います。明星派の詩人、与謝野晶子は、歌集「草の夢」の巻頭で「却初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の釘ひとつ打つ」と詠んでいます。遙かなる昔から人々が、営々と築きあげてきた芸術の殿堂に、自分も黄金の釘を一本打って、この壮麗な事業に参加することができたという晶子の喜びと自負心が伺われます。 皆さんも、五十年の歴史と伝統に輝く本校の金字塔に一人ひとりが黄金の釘を打つ時が来ました。校歌にも詠われているように、文徳高校は、今も、昔も、これからも「未来を見つめて、真理を求めて、叡智を磨く」道場でありたいと考えます。自らの使命を自覚し、研鑽を積んでいただきたい。文徳学園で育んだ夢と希望をこの黄金の釘に託し、堂々と世界へ羽ばたいて欲しいと願っています。併せて、二十一世紀は若い皆さんの時代です。明治維新を担った若者達のような気概や気骨でもって日本丸を操りながら、前進し続けてくれることを期待してやみません。・・・

                               平成22年10月31日 

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