2011/9/29 木曜日

彼岸花

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第87号            

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          『彼岸花』

                学校長 荒木 孝洋 

 「暑さ寒さも彼岸まで」、日中の残暑は続いているものの、朝夕メッキリ涼しくなり過ごしやすくなった。秋本番、豊穣の秋到来、田んぼでは黄金色の稲穂が風に揺れ、庭先にも真っ赤な彼岸花が咲き始めた。彼岸の中日、孫を連れて墓参りに出かけた。子供にも先祖を教えておくべきだとの想いからだ。4歳になったばかりの孫は、墓石に向かい大人の仕草を真似して両手をあわせている。意味はわからないだろうがそれでよいと思う。この年になれば、老い先のことも心配だが、子孫に残せるもの、伝えておきたいことがいっぱいできる。未来を担う子どもたちのことも気になる。50歳から先は散歩の帰り道。帰り道はままならないものだと思っていたけれど、結構面白い。往路と復路では景色は同じでも世界が違って見える。復路は「豊かな未来に向けた創造の道」と考えると老いもまたいいものだ。情報機器とネットワークに囲まれた人生を送るであろう孫にも家族や地域との絆の大切さを教えておきたいと思う昨今。

 ところで、政治家の失言が日本ほど問題となる国もないだろう。メディアも新聞もこぞって政治家の失言やゴシップを大きな活字で発信している。大衆への影響力が強く大きいだけに過激なタイトルとワンフレーズの説明だけでは誤解を招く。「死の町」発言で辞任した鉢呂経済産業大臣の例もしかり、発言全体をジックリ伝える記事やテレビ報道が少なかった。誰でもそうだが、使う言葉には前後があり文脈全体を通して主旨がわかる。発言全体を総括してコメントするのがメディアの大切な役割ではなかろうか。9月24日の熊日に掲載されていた江川紹子さんの「文脈を無視したマスメディア」と題した論評を読み、「そうだ」と同感した。野党もテレビも新聞も失言や勇み足を取り上げ、鬼の首を取ったように大騒ぎするのはやめていただきたい。国中が「言葉狩り」に近いことに狂奔していると日本丸は沈没する。大臣の勇み足や失言を血祭りに上げることだけが野党やメディアの役目ではないはずだ。追求すべきは失言ではなく失政である。震災復興と世界同時不況の最中、今、メディアに発信して欲しいことは(我々庶民が知りたいことは)、「復興の施策やこれからの日本列島の姿、そして、その為に、国民が考えたり行動すべきことは何か」といった本質的な課題と方向性だ。

 画家の東山魁夷は、「花を一面から見るだけではなく、右に回って描き、左に回って描き、背後から、真上から、下から、つまり、あらゆる角度から描け。朝に、昼間に、否あらゆる時間に、雨に、風に、さらには蕾に、落ちて散った後に、萎れたときに描け。描きかつ観るうちに、花は意識の深層に焼き付いて、もはや花を直接見ないでも、まぶたから消えない花になる。その時、画家は花になりきることができる」と言っている。画家は、一輪の花を自分のものとするにもこれだけの精力を傾け描くのだから、ましていわんや、日本人の生命に関わる施策を創る政治家の仕事が如何に難しいか推し量ることができる。政治やその報道に関わるメディアの皆さんにお願いしたい。メディアの過激な発信に辟易している国民も、「どうでもなれ」と虚無的に政治を捉える国民も、いずれの人も日本丸の将来を真剣に心配しているということだ。政治家にもメディアにも東山魁夷ほどの命がけの研鑽と熟慮を期待したい。

 

2011/9/20 火曜日

今こそ「武士道精神」

Filed under: おしらせ — admin @ 13:07:05

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第86号

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                『今こそ! 武士道精神』       

                        学校長 荒木 孝洋

 震災直後、日本を取材に訪れたアメリカのある女性記者は、二つのことに非常に驚いたそうだ。ひとつは、あれだけ多くの被災者が避難所に暮らし混乱が続いているにもかかわらず、ゴミの分別がきちんと行われていたこと。もう一つは、炊き出しに長蛇の列ができた時、赤ん坊を抱いた女性が後方にいたのに、誰も順番を譲ろうとしなかったことだという。前者に象徴される日本人の真面目さは世界に誇るべく美質であろう。後者は日本でよく見かけることではあるが、アメリカ人にとっては異様に映る光景かもしれない。

 作家の藤原正彦氏は、著書「国家の品格」と「この国のけじめ」の中で、品性と品格を失った日本人の振る舞いについて「日本が沈没する」と警鐘を鳴らされている。まずは、作品の一部を抜粋して藤原氏の主張を紹介する。

  「21世紀は武士道が発生した平安時代の混乱と似ていないでもない。バブル崩壊後、日本では政府ばかりか国民までもが『経済を復興させるためなら何をしてもいい』と考えるようになった。アメリカからの要求に従うように改革が次々と断行され、貧しい者や弱者、他方が泣かされるという非情な格差社会が生まれた。若者を中心に『下流』が増大し、経済中心、金銭中心、個人中心の国策によって、日本人が古来から大事にしてきた、思いやり、共感といった武士道精神の神髄である『惻隠の情』が失われつつある。(中略)市場原理主義は、できるだけ規制をなくし競争原理を働かせるものだが、結果は勝者と敗者ばかりの世界になる。世の中は、勝者でも敗者でもないふつうの人々が大半でなければ安定しない。市場原理に代表されるアングロサクソンの『論理と合理』を許し続けたら、日本だけでなく世界中がめちゃくちゃになってしまう。(中略)私は、経済的豊かさをある程度犠牲にしてでも『品格ある国家』を目指すべきだと考えている。その為にも、日本人の魂を具現した精神的武装となる『武士道精神』の復活は急務だ。江戸時代の切腹や仇討ち、戦前の軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いた上で、早急に武士道を日本人は復活すべきである。今、世界中が途方にくれている。この世界を本格的に救えるのは日本人しかいない」と、切々とした文章で訴えられている。 さらに、日本人がこの役割を担うにはどうしたらよいか。藤原氏は、教育によるしかないと述べておられる。「政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善に繋がったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能である。いまできることは、時間はかかるが立派な教育(学校教育・家庭教育・社会教育)を子どもたちに施し、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子どもたちだけには素晴らしい教育を与える、というのが誇り高い国家の覚悟と思う」と。少子高齢化社会を迎え、国を挙げて今後の福祉社会の在り方が論議される昨今、もちろん重要な施策でありそれに異を唱えるものではないが、教育は人生前半の唯一最大の福祉政策であり公共事業であると確信する。藤原氏の提言には大賛成である。教育をとおして、己の心身を強化し、我慢を重ね、調和を図り、そして弱い者を守る修行をして欲しいと願っている。 引用が少し長くなってしまったが、著書は今から6年前の平成17年に刊行されたものだ。

 くしくも、今回の不幸な東日本大震災で、武士道精神がまだ失われていないことが随所で証明された。冒頭のアメリカの記者の話に戻るが、ゴミの分別をきっちりやる真面目さと、行列のルールよりも赤ん坊を抱いた母親を大事にする『惻隠の情』は両立するはずだ。グローバル社会においては、合理主義と人間への優しさを天秤にかけざるをえない側面もあるが、元来、日本人は優しい国民である。武士道精神を中核に据えた行動を実践することこそ日本の真の復興だと確信する。

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