2011/11/18 金曜日

坂の下のユートピア

Filed under: おしらせ — admin @ 9:13:49

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第90号 

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            『坂の下のユートピア』

                          学校長 荒木 孝洋 

 戦後の日本人に大きな影響を与えた小説の一つに司馬遼太郎さんの長編歴史小説『坂の上の雲』があります。封建の世から目覚めたばかりの日本が、登っていけばやがてそこに手が届くと思い登っていった近代国家というものを、「坂の上の雲」になぞらえてつけられた題名です。主人公である秋山好古・真之兄弟と正岡子規の3人が、自ら国家の一分野を担う気概を持って各々の学問や専門的事象に取り組む青春群像小説です。後半の日露戦争に関わる記述については賛否両論ありますが、はるか高みの雲を目指して、営々と坂を上り続けてきた明治人の姿は、戦後の焼け跡から始まり、高度成長を成し遂げた世代にも通じるものがあり日本人の必読の本だと思います。 小説の舞台である明治中期は、若者の進路選択の幅も今と比べるとはるかに狭いものでしたが、若者の悩みには現代の若者と共通のものがあります。「どう生きたらよいか?」「将来はどうなるのか?」といった悩みは、秋山兄弟の時代と変わらない悩みです。開国という時の流れの中で、当時の若者が自分の生き方を模索し苦悩しながら、どのように進路を選択し生きていったかを知るうえでは共感できる作品だと思います。また、この作品は映画化されテレビでも放映されていますから、作品を読むのに気後れする人は、まずは映像から入ってみることもよいでしょう。そして、明治時代の人々の暮らしや人々の考え方・生き方、そしてこの時代が今の日本にどのような影響を与えたかを知るとともに、これからの日本の在り方を考える素材にして欲しいと思います。

 ところで、2010年の内閣府の発表によると、日本が42年間死守し続けてきた国内総生産(GDP)世界第2位の経済大国の座を人口12億の中国に明け渡したそうです。もっともそんなことは既にわかっていたことで、国内外ともに大きな混乱はありません。高度成長が永遠に続くはずもないし、どんな長い坂もいずれは登りきり、坂の上に着いてしまえば今度は坂を下らなければならないことは明らかです。すごすごと惨めに坂を下っていくのか、それとも胸を張って坂を下っていくのか。それを決めるのは君達若者です。日本は東日本震災後、その復興予算の捻出方法や原発事故に伴うエネルギー問題の見直し、さらには貿易完全自由化を前提としたTPP(環太平洋連携協定)への参加問題など大きな岐路を迎えています。頭上の雲を眺めてじっとうずくまっているわけにもいかないのが少子高齢化社会の宿命ではないでしょうか。

 今の日本人に必要なのは、前を向いて堂々と坂を下っていく覚悟であり、経済的、物質的な成長ばかりが目標でないことを認めることではないかと思います。生活は貧しいけど、国民総幸福量(GNH)世界一のブータンのように、求めれば、坂の下にもユートピアはあるはずです。若者が、21世紀の日本丸の船頭として、自らの進むべき方向を模索しながら日本の新たな道を開拓してくれることを期待しています。「坂の上の雲」を目指した秋山兄弟や正岡子規等の一途な気概や気骨の中に「坂の下のユートピア」を創るヒントが見つかるかもしれません。 

2011/11/3 木曜日

先生の資質・資格とは

Filed under: おしらせ — admin @ 8:11:55

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第89号   

      

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         『先生の資質・資格とは?』

                      学校長 荒木 孝洋

  教師の不祥事や学力低下論を背景に「先生の資質」論議がかまびすしい。民主党は政権交代に臨んで「教員養成6年制」を掲げたし、自民政権は「免許更新制」を残した。最近は、教員免許を国家試験でという話ももちあがっている。いずれの改革も、先生養成にハードルとチェックを増やせば質が向上するという考え方が強くなっているように思える。古来より教育現場で続いてきた先輩が後輩を指導するよき風習は廃れてしまったのだろうか?「資質向上」に異存はないが、試験や研修の量がそれを約束するわけではない。

 学校教育の目的は、子どもたちが人間としてよりよく成長していくことを願って、一定の資格と資質を持った大人が助力していく作業である。幼少期の子どもに求められる教師の役割と十代後半の高校生に求められるそれは、その根幹は変わりないが、求められる資質や教え育てる内容は変わっていく。高校では躾よりも教科の専門的知識とその指導力が強く求められるが、初等教育においては、未熟で不安定な子どもの心理状態を上手に受けとめながら指導する生活指導に重きが置かれる。子どもの年齢によって、教師に求められる資質が違うのに、すべての教師に同じシステムの「教員養成6年制」を適用するのは当をえているであろうか。例えば、幼稚園の先生になろうとしても、高校卒業後6年間も学ばなくては先生になれないとなれば、子どもが大好きで一緒に遊んだり折り紙を教えるのが夢の高校生の多くは別の道を選択するに違いない。また、6年間学費を払う経済力のない学生は門前払いされるし、同じ資格でも需要が多い医師や薬剤師と違い、6年間学んでも「新規採用なし」ではその資格がいかせないとなれば、優秀な人材は他へ職を求めることになる。人材枯渇が目に見えている。既に、大都会では改革とは関係なく教師志望者が減少し募集で苦労している話も漏れ聞く。

 ところで、今回の改革は、世界で最も学力が高いと言われるフィンランドをモデルとしているのだろうが、日本とフィンランドの教育事情は大きく異なる。フィンランドでは、教師の基礎資格は6年修業だが、大学院まで学費は無料、教師の社会的評価も待遇も日本より高い。しかも、進路選択や生活指導、放課後の習い事などは家庭の責任であるから教師は教科指導に専念できる。教科書選定もシラバス作成も教師の責任で行われ国は関与しない。教師は国の教育方針「健全な納税者を育成する」ことに全責任を持って教育にあたっているそうだ。元来、日本人は勤勉で実直だから、未熟な若い教師でも先輩の教えで立派な教師に成長することが多い。高校生ともなると、社会の縮図のようないろいろな持ち味の教師がいて、子どもたちはそこに「世の中」を感じ取って大人に成長していくことが多い。改革のあるべき方向性は、養成期間の長期化とか、知識を測る国家試験といったことばかりでなく、教育者として資質に富んだ者をひとりでも多く呼び込む策を構築することだと考える。もちろん、子どもに愛情のない教師や学ぶ意欲に欠ける教師や専門知識が不足する教師は即刻退場してもらうことが前提だが・・・。 

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