2011/12/5 月曜日

躾と仕付け

Filed under: おしらせ — admin @ 11:24:27

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第91号

        91-1.JPG  91-2.JPG

               『躾』と『仕付け』 

                             学校長 荒木 孝洋

 小学校5年生の頃、家庭科の授業でエプロンを制作したことを想い出しました。授業は、まず白い布に引かれた線に沿って針を動かす運針から始まります。その成果としてエプロンを作ったのです。縫い目が狂わないようにまず『仕付け』をする。仮にざっと縫い付けていく作業です。その後、『本縫い』をしてエプロンができあがります。『仕付け』に使った躾糸を抜くと、本縫いしたエプロンは何もなかったかのように見えます。 辞書には“裁縫の『仕付け』は『躾』と同義語だ”と書かれています。なるほど、『躾』はその目的も方法も裁縫の『仕付け』に似ています。出来上ったエプロンの優劣が『仕付け縫い』の善し悪しで決まるように、人間を一人前に育てていくためには、『仕付け』つまり『躾』が極めて重要な要素となります。「おはよう、ありがとう、ごめんなさい」の「挨拶、謝辞、お詫び」がその第一歩です。躾がすっかり身につき、ごく自然に振る舞うことができるようになると、躾糸は抜かれ、自分で判断し行動を選択し世渡りをすることになるのです。また、『躾』という字は「身を美しく」という意味合いがあり、日本独特の伝統的な教育方法を示す言葉です。一般的に、世間では『躾』は生活面のことだと理解されている方が多いかもしれませんが、それは幼少期の『躾』のことです。

 学校教育では、幼・小・中・高どこでも、“徳・体・智の錬磨”を教育の根幹に据え、三つの側面から『躾』、つまり、『習慣形成』を行っています。知的な面からの学習習慣、徳育の面から生活習慣、体育の面からの運動習慣の三つです。授業や部活動、学校行事のいずれも『躾』と称した“徳・体・智の錬磨”です。最近は、これに言語や体験を加えるケースも増えています。

  ところが最近、この躾に異変が生じている気がします。一つには、いきなり『本縫い』をし、『躾縫い』がされていないケースです。大人になっても、挨拶ができない、「ごめんなさい」が言えない、教えてもらっても「ありがとう」が言えない、分数の足し算ができない、さらには、携帯依存症、躾と称する幼児虐待事件の多発(学習習慣や生活習慣の欠如)・・・。つまり、『仕付』がおざなりのまま本縫いしたから型が崩れてよれよれになっている状態です。二つ目は、逆に、仕付け糸をいくつになっても付けたままのケースです。自分で何も決められない指示待ち人間、保護者がいないと外も歩けないといった類です。躾糸が強すぎて、『本縫い』として身につけるべく「活用力」「探求力」「思考力」「判断力」「コミュニケーション力」などの能力が育ちにくい状態です。

 二つのケースはいずれも極端な例かも知れませんが、立派なエプロンを作る手順と同様に、教育に於ける躾の手順としては不適切・不条理な状態でしょう。 一方、社会のグローバル化に伴い価値観も多様化しています。『仕付け』についても多様な考え方があり、「躾は不要だ。それぞれが育てればよい」と主張する人もいますが、逆に、価値観が多様化すればするほど社会行動の共通の基盤や基層となる『躾(仕付け)』は不可欠になると思われます。キーワードは「急がず・甘やかさず」です。

 文徳学園は3年間あるいは6年間、子どもの成長の差違を認めながら、学習習慣・生活習慣・運動習慣の『仕付け縫い』の時間をタップリ与えます。それが『生きる力』(活用力、探求力、思考力、判断力、コミュニケーション力など)を育むためには極めて重要であると考えるからです。 

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.