2012/9/25 火曜日

仲秋の名月

Filed under: おしらせ — admin @ 11:03:56

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第103号 

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          『仲秋の名月

                学校長 荒木 孝洋

 灼熱の熱波に痛めつけられた心と身体を朝夕の冷涼が癒してくれる昨今、赤や白の彼岸花が待ってましたとばかりあちこちに咲きはじめました。間もなく仲秋の名月、今年は9月30日が十五夜です。昔は、団子や芋・豆・栗などをお供えし、ススキや秋の草花を飾って名月を祭るのが十五夜の風習でした。ところが、近年は自生するススキが極端に少なくなってしまい、近所でススキを見つけることさえ困難になってしまいました。一説によれば、外来種のセイタカアワダチソウの猛烈な繁殖によって自生地が占領されてしまったためだとも言われています。時代と共に人間模様だけでなく生態系まで変わりつつあるようです。最近は、秋の七草(ハギ・ススキ・クズ・ナデシコ・女郎花・藤袴・キキョウ)という言葉すら聞かれなくなってしまいました。

 先日ある本に、アメリカの農作物の品評会での出来事について、次のような話が紹介されていました。「ある農夫が品種改良したトウモロコシが一等賞に入賞した。するとその農夫は、惜し気もなく会場に集まった他の農夫たちにその種を分けてあげた。審査員の一人が心配してその農夫に耳打ちをした。『これほど貴重な種をそんなに軽々しく他人に分け与えてしまっては勿体ないですよ。品種登録をしておくべきですよ』と。すると、その農夫は答えた。『いいんですよ。みんなが良い種をまいて良い収穫をしてくれれば』と」。縄張り意識の強い日本の農民は「自分だけ」という意識が強く、立派な技術でも他人にはなかなか教えようとしません。それが、農業が世界に取り残されそうになった要因にもなりました。当たり前のことですが、野菜や果実は蜂や虫たちの受粉を通して実を結びますが、虫たちは交配の対象を区分けできません。だから、トウモロコシだけでなくキュウリもナスも梨もリンゴも近所に品質の悪い種を植えると、どんな立派な種を植えてもうまく育ちません。みんなが良い種を植えると全て順調に育つのです。アメリカの農夫はそのことを伝えたかったのだろうと思います。

 ところで、植物の共存共栄のモデルは人間の成長や国の発展にも似てる気がします。気質や才能や体力が違っても切磋琢磨しながら人間は成長します。国の発展もしかりです。グローバル化した社会では自給自足の繁栄は考えにくく、他国のそれぞれの文化や経済、教育・・・あらゆる影響を受けながら発展していくのです。今大きな問題になっている竹島や尖閣諸島の領土問題も、自己主張だけでは解決しない気がします。中国の仕打ちは酷いと思いますが、互いにその関係の実態をつぶさに見極め、自他共に栄えることを考えないと日本も中国もつぶれてしまう気がします。 また、混迷深まる日本経済、大企業は円高・人件費高騰などを理由に海外に流出し国内雇用が空洞化しています。また、政治家は「地方活性化は地方分権から」という耳障りの良い政策を提言していますが、吟味すると、「消費税を地方税化し、地方で知恵を出して、自分の食い扶持は自分で稼ぎなさい」となります。人口の多い大都市は税収が増え益々豊かになるでしょうが、産業も働く人も減少している熊本人には「地方切り捨て」としか聞こえません。限界集落を抱える田舎はどんなに頑張っても税収は増えません。猿や鹿やイノシシは固定資産税も住民税も消費税も払ってはくれないからです。命の源である水資源や食料の確保をどうするのか? そして、大切な山や川や海を誰がどうやって守るのか? 日本丸は課題山積です。目ざとい外国人は過疎地を買い占め合法的に日本列島を占拠してしまうかもしれません。水も資源も技術も根こそぎ持ち去ることでしょう。 地方の衰退は日本の衰退です。荒れ放題に焦土化した日本列島は、やがて、猿や鹿やセイタカアワダチソウに駆逐されることになるでしょう。団子も芋も豆も栗もススキもない仲秋の名月を日本人はどうやって祝うのでしょうか? 経済至上主義と覇権主義が闊歩する殺伐たる日本列島の姿を想像すると悲しくなります。今も昔も変わらぬ仲秋の名月を眺めながら、言葉だけの共存共栄を叫ぶ為政者の姿を恨めしく思う昨今です。

 

2012/9/13 木曜日

もうひとつの甲子園

Filed under: おしらせ — admin @ 8:19:36

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ第102号  

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       『もうひとつの甲子園』

                 学校長 荒木 孝洋

 地味な軟式野球は、華やかな甲子園の陰に隠れて報道されることも少ないが、本校の部活動でも似たような状況がある。部員数も硬式が97名、軟式は35名、練習もサッカー部と共用のグランドだ。その軟式野球部が県代表として全国大会に出場し、28年ぶりに準優勝の栄冠を熊本県に持ち帰ることができた。明石球場に応援に駆けつけていただいた県高野連の中西会長様、管理事長様をはじめ、関西・京都県人会や同窓会の皆様、そして、陰ながら応援・祝福いただいた多くの県民の皆様にただただ感謝するばかりです。有り難うございました。 私も、県予選・南九州大会・全国大会決勝戦と応援を続けたが、素人集団の彼らが一戦ごとに技量も精神力も成長していく姿に感動すら憶えた。一人一人が、自らの役割を考えながらチームワークで勝ち取った準優勝である。決勝戦は、ラジオ放送による全校応援の声も届かず敗れはしたものの、全員が爽やかな笑顔で帰校した。学校では8月31日に報告会を行った。祝勝ムードの興奮した雰囲気の中、キャプテンの今山君(投手)は「グランドの草取りからはじめた僕たちがここまでこれたのも、ひとえに、皆さんの応援のお陰です」と感謝の言葉で大会の報告をした。「やればできる、でも、やるのは君だ」を実践した若者のガンバリに心から祝福のエールを送りたい。 ところで、彼たちが発奮してここまで頑張れた要因がもうひとつある。それは、2回戦で本校と対戦し0:5で破れた気仙沼高校(宮城県代表)の応援団からいただいたメッセージである。試合終了後、「僕たちの分まで頑張って、優勝してくれ!」と。「準決勝で強豪作新学院に勝てたのは気仙沼高校の応援があったからです」と、選手達は述べている。

 大阪の毎日新聞(9月11日)に、気仙沼高校のことについて《もうひとつの甲子園》と題した記事があったので紹介したい。 地震と津波の被害を受けながら、軟式野球で全国大会出場を41年ぶりに果たした気仙沼高校(宮城県気仙沼市)。練習用の第2グラウンドには別の高校の仮設校舎が建ち、冬場は校舎の間30メートルのスペースでキャッチボールをし、春以降は他の部とグラウンドを分け合ってきた。両親を亡くした選手もいた。チームは「環境の悪さを言い訳にしたくない」と、全国の舞台に立つ決意だったという。初戦は九回裏に逆転し、硬式野球を含めて気仙沼市に初の「全国1勝」をもたらした。結果は生徒への一斉メールを通じてすぐに地元に伝わった。 続く2戦目。スタンドで見守っていた選手の父(46)は、家族と17年続けたカキ・ホタテ養殖業を津波で断念。家族3人と勤めに出ている。背中には「オレらの夢 誰にもじゃまさせない!」の文字。震災前に買ってしまっていたTシャツで、「夢が見えてきた」南東北大会で引っ張り出した。試合は0−5で敗退。泣き崩れたあの3年生たちは引退して受験勉強に入り、新チームが始動した。逆境から夢をつかんだ気仙沼高校。新たな伝統への挑戦が始まっている。【阿部浩之】

 全力で青春を謳歌した高校3年生は引退し、就職試験や大学受験、球児たちの新たな挑戦が全国で始まっている。政治・経済・国際問題などさまざまな側面で心許ない昨今の状況だが、若者の舵取りに日本丸の前途を託したい。

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