2013/5/29 水曜日

『フェアープレー』

Filed under: おしらせ — admin @ 16:25:34

111-2.JPG      111-1.JPG 

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第111号

                             『フェアープレー』
                                        学校長 荒木 孝洋
 失格も覚悟で「ルール違反」を自己申告した女子プロゴルファーがいる。3月末の大会で掘奈津佳選手(20)は「ボールを拾い上げて泥を拭くことができる」という特別規則を誤解していたことに気づき、第2ラウンド終了後、届け出た。この時点でトップに立っていただけに、申し出は相当な勇気が必要だったろうに、あえて申告した理由について、掘選手は「優勝のチャンスはこの後、何回かあるかもしれないが、私のゴルフ人生は一度だけ」と話した。特別規則を告知した文書に不備があったため失格は免れ、最終日も首位を守りプロ3年目で初優勝した(ネットで紹介されていた記事より)。勝利のために手段を選ばないことを黙認し、時には反則さえ奨励されることもある昨今のスポーツ界、掘選手のフェアープレー精神に大喝采。
 最近、スポーツ界では暴力的な指導やハラスメントなど、スポーツの価値を傷つけ、信頼を揺るがすようなニュースが絶えない。さらに気になることがある。若いスポーツ選手が「結果が出せなければ意味がない」と、ためらいもなく言い切る姿がテレビ画面で日常的に放映されていることだ。プロ選手ならともかく、オリンピック選手にもメダル獲得にこだわり、そうした態度を堂々と見せる者がいる。彼らの世界では結果が収入や名声に直結するからかもしれないが、歴史に名を残したトップアスリートは誰もがフェアープレー精神に溢れていた。いつからこうなってしまったのだろうか。勝利至上主義が跋扈すると勝つために手段を選ばなくなり必ず歪みが起こる。部活の体罰やアスリートのドーピング問題はその象徴的な例である。スポーツだけでなく、入試での不正行為やいじめ、指導者の不祥事も結果主義の副産物かもしれない。
 学校教育では、結果よりプロセスを大事にする。だから、負けても進歩や成長があれば評価をする。高校生であっても「勝ちたい」と思って大会に臨むし、個人として結果にこだわるのは当然としても、若いスポーツ選手が堂々と「結果が出せなければ意味がない」と主張する姿はいただけない。憧れのスポーツ選手たちの言動や服装は子どもに大きな影響を及ぼす。そんな姿を四六時中テレビで見ている子どもたちはどう育っていくのだろうか。成長期の子供を預かる学校現場は困惑している。自然と擦り込まれた反芻体験は思考経路にも異変を起こす。自分では気づかないうちに「努力しても結果が出なければ無駄だ」と思うようになるかもしれない。大人の責任は重い。しかも、最近の日本列島は、スポーツだけでなく、すべての分野で「共存より競争」「守りより攻め」「ローカルよりグローバル」といった強気な言葉のてんこ盛り、「負けたら終わりだよ」とあおり立てる風潮が蔓延している。アベノミクスもしかり、日本のトップリーダーたちがこぞって威勢のよい言葉で国民を鼓舞するのはわからないでもないが、一方では「自分はどうしたらよいのか」といった不安で窒息しそうになっている日本人も少なくないはずだ。YESかNOかの二者択一ではなく、勝ちも負けも、攻めも守りも共存できる武士道精神(=フェアプレー精神)が日本人には似合っている。
 いよいよ高校総体が始まる。出場選手の思いは様々だ。優勝を「悲願の願い」として出場する選手もいれば、「まず一つ勝ちたい」「高校最後の大会、完全燃焼を」・・・。カナダでは日頃から実際に体を動かすことを通して、どのプレーがフェアーでどれがフェアーでないか考え学んでいくそうだ。大会前になると「よいプレーは相手であっても賞賛する」などと書かれた同意書に署名して出場するそうだ。いよいよ始まる総体、「相手がいるから試合ができる。相手がいるから強くなれる」そんな思いで大会に臨んで欲しい。他人の失敗を責める。技能の低い人をからかう。負ければふてくされるなど、競技者として最低だ。「書かれていないルール」も心に留めながら完全燃焼してくれることを期待している。

2013/5/9 木曜日

いつでも夢を〜老いても夢を!

Filed under: おしらせ — admin @ 17:21:00

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第110号

      

                 『いつでも夢を〜老いても夢を!』
                            学校長 荒木 孝洋
 29日は「みどりの日」、本校では毎年この日に体育大会を実施しています。凄まじい砂塵が舞う中、1300名の生徒による整然とした入場行進で大会が始まりました。恒例の集団行動や男子のエッサッサ、女子の創作ダンス、さらには、100蛋などの歩行競争や玉入れ・応援合戦、中学生によるYOSAKOIソーラン・1000蛋(男子)など、若者の気力と体力が完全燃焼した一日となりました。生徒諸君にとって「流した汗はすぐに乾くが、流した涙は永遠に心に残る」大会であったと推察しています。
 ところで、先日、つけっぱなしのテレビからシンミリとした歌が聞こえてきた。「誰が歌っているのかな?」と画面を見ると、「エッ都はるみ!」と仰天。若い人には馴染みの薄い歌手かもしれませんが、同世代の私にとっては波長が合う歌手の一人です。聞こえてきた歌は「千年の古都」、彼女独特のうなり声のような力強いこぶし回しや、声を震わせるような深いビブラートは一切ない、昔の彼女の歌い方とは全く違っていました。彼女は番組の中で、歌い方の変化について次のように語っていました。「歌手は舞台に立つと、聴衆に媚びてサービス過剰になり聞かせる歌を歌ってしまう。若い頃は、私もそうだったが、それは本当の歌い方ではない。最近、やっと聞き手を意識せずに歌えるようになった。その歌が千年の古都です」と。昔の歌い方とは全く違う。目線も仕草も聴衆を意識していない。生まれ故郷の京都に思いを馳せながら、幼き頃の母との思い出を歌詞にして「約束もなく日が暮れて、衣笠山に一番星です・・・ああ、時は身じろぎもせず、夢は老いることなく、悠久のまま・・・」と歌っています。彼女の述懐とテロップの歌詞から二つのことを考えさせられました。
 一つは「聴衆に媚びたら歌ではない=生徒に媚びたら本当の教育はできない」ということです。福島県の会津には江戸時代の「什の掟」を基盤にした「あいづっこ宣言」という教育指針があります。◆人をいたわります◆ありがとう ごめんなさいを言います◆がまんをします◆卑怯なふるまいをしません◆会津を誇り 年上を敬います◆夢に向かってがんばります ◆やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです。以上の7つです。いつの時代も教育には毅然とした指針が必要です。甘やかしや媚びは子どもを駄目にする、ということを再確認する掟だと思います。
 二つ目は「子どもの夢実現が教師の使命、だとすれば、教師自身が夢を持たなくては教師はつとまらない」ということです。同じ歌手でも歳とともに歌い方が変わっていくように、教師の夢も年相応に形が変わってきます。文徳に御縁をいただいて七年目、振り返ると、「千年の古都」の歌詞の一節「夢は老いることなく」は教育再生のキーワードだと思います。今の私の夢は、「生徒の夢を育み、夢を叶える」ことです。「何が欲しい」とか「何をしたい」といった物欲や願望ではなく、若者に「何かを残したい」「何かをしてやりたい」といった支援の形に夢が変わってきました。ガムシャラに叱咤激励していた若い頃と違って、子どもを見る目も接し方もおおらかになってきたし、仕事も授業や生活指導から教育環境の整備や教師集団の力量アップに心血を注ぐのが日課となりました。平成21年に完成した新校舎では生徒の歓喜の声がこだましています。それを聞きながら、「これでよし」とひとり満悦しています。26年には体育舘が竣工予定、子どもたちよりも浮き浮きした気持ちで完成を待っています。また、「子どもの夢実現・難関大挑戦」も、先生達のガンバリで東大や医学部にも合格しました。子どもの夢が大きく膨らみ、若い先生の馬力が学校全体の活力を醸し出しています。「夢は老いることなく」、まだまだ続く夢支援人生「老いても夢を」と歌いながら・・・。

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.