2013/8/21 水曜日

夏休み

Filed under: おしらせ — admin @ 16:27:24

   

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第113号

                                           『夏休み』
                                               学校長 荒木 孝洋
 「今年こそ甲子園に行こう!」そう願いながら夏休みを迎えたが、残念ながら後一歩で夢が潰えた。“さわやか文徳!笑顔満開!”の文徳野球を多くの県民の皆様に応援していただいたことに心から感謝申し上げたい。甲子園の全校応援は叶わなかったが、子どもたちには進学や就職を含めて目指す夢、つまり、自分だけの「My甲子園」がある。短い夏休みであったが、学習や部活動、ボランティア活動などに「My甲子園」を目指して鍛錬の日々を過ごしたものと確信している。いよいよ8月26日から二学期が始まる。23日に職員会議、子どもたちを迎える準備は整った。逞しく成長した子どもたちとの出会いが楽しみである。
 ところで、わたしの故郷は宮崎県境の山都町である。標高500叩∋擁が山に囲まれており、夏は天然クーラーの冷気で猛暑とは隔絶された別天地である。家から50辰曚瀕イ譴燭箸海蹐望さな川がある。夏休みになると、石で堰き止められた川はプールになる。深さは子どもの背丈ほどだが、来る日も来る日も唇が真っ青になるまで白波を立てて遊んだ。さらに、川釣りも子どもの楽しみだった。ミミズを餌にハエやアブラメ、ドンカッチョなどの絶好の釣り場となり、手作りの鉾で獲るカマツカ漁も子どもには感動的な出来事だった。「毎日がどうしてこんなに楽しいんだろう」。子ども心にそう思ったのを、今もはっきりと記憶している。
 そんな昔の楽しかった想いが身体に染みこんでいるのだろうか、今でも、川辺に足を運ぶと気持ちが落ち着く。時には、子どもの頃よくしたように小石を早瀬に投げてみる。水しぶきが上がって水音が返ってくる。二つ三つと小石を投げているうちに童心に返っている自分に気づく。しかし、昔の童心とはどこか違う。年をとったということだろう。悪ガキと戯れた懐旧の情は遠い昔の話、もはやどう間違っても、「毎日が何でこんなに楽しいんだろう」などと思うことはない。ないが、そう思う一方で、子どもの時の思い出は消えない。自然とともにあった当時の原風景は脳裏にシッカリと焼き付けられ、その豊かさは膨らむ一方。楽しかった思い出や体験は「カケガエノないもの」として心の中心にドッカと腰を下ろしている。悪さをしながらも、どこか気を遣っていたし、友だちをかばう気持ちや勇気を身につけたのも、外での遊びを通してだった。
 しかし、以前と比べて、子どもの夏休みが様変わりしたような気がする。戸外で遊ぶ子どもの姿もほとんどない。過日の熊日新聞に「ネット依存中高生51万人」の記事が掲載されていたが、依存症でなくても大半の若者はネット社会と共存せざるをえない状況になっている。メールとラインが主流の子どもたち、無言社会の到来である。そう言えば、電車やバスの中でも視線は下向きの若者ばかり。携帯かスマホの画面を指でなぞっている。お喋りをしているのはお年寄りばかり。しかも、無言世界はさらに低年齢化し小学生にまで広がっている。本来、子どもは身体全体で喜びながら遊ぶものと思っていたのに、最近はもっぱら、室内でのゲーム遊びが癒しの空間になっているようだ。年寄りの戯言と言われるかもしれないが、機械相手の遊び(?)がどうしてそんなに楽しいのだろうかと思ってしまう。
 本来、子どもは、遊びや体験を通して「生きる力」とか「生きる知恵」を身につけていく。文徳中学は体験を重視する。夏休みのサマーキャンプは自炊とテントと水遊びの生活。9月の修学旅行も体験型、琵琶湖でのカヌーや清水寺での陶芸、比叡山では座禅を行う。動作や表情がぎこちない新入生も、夏休みを過ぎると変身する。笑顔が増え声が大きくなる。そして、日常生活も様変わりする。思いやりの言葉や助け合いの行動が自然にでるようになる。体験で育まれる人間力は大人が想像している以上に教育効果が高い。ITC教育の推進、小学校の英語教育など室内型が目立つ昨今の教育改革、戸外で遊ぶ時間が益々減っていく。日本の将来は大丈夫でしょうか?

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.