2013/10/24 木曜日

私は死ぬまで『熱中症』

Filed under: おしらせ — admin @ 14:13:13

115-1.JPG    115-2.JPG   

 文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第115号

                                   私は死ぬまで『熱中症』
                                                                                              学校長 荒木 孝洋

 連日の台風情報に目が離せない。日本列島は26号に続き27号、28号によるトリプル台風に襲撃され、大島では想定外の雨量により死者も伴う大惨事となった。被災された多くの方々は今なお避難生活を余儀なくされている。台風メッカと呼ばれる九州人にとっては、家屋や家族を一瞬のうちに流された方の喪失感と不自由は人ごととは思えない。
 ところで、最近の天気予報を聞いていると「想定外の・・・」とか「100年に一度の」「観測史上初」などかっては聞いたこともない言葉が飛び交い不安が増幅する。人類が知り得る過去なんて、地球の歴史から見るとほんの一部にしか過ぎないのに・・・「これぐらいのことはこれからいくらでも現われてくるだろう」にとも思う。この時期の台風の大量発生は気温や海水温の上昇が原因だと報道されているが、この夏の暑さもそれが原因だったんだろうか? 思い出すと「熱帯夜」に悩まされ、生徒や老人の「熱中症」も多発した。私たちの小さい頃は「熱中症」という言葉はなかったが、「日射病」「熱射病」と同じことらしい。幼き頃の記憶を辿ると、夏休みは戸外で遊ぶのが当たり前だった。「帽子はかぶるように」とは言われたが、「水分をとれ」とは誰も言わなかった。炎天下の長時間の運動でも水は飲まなかった。「飲むと疲れが出るから」とか「だらけるから飲むな」と先生からも先輩からも怒られた。隠れて水でも飲もうなら、「気合いを入れろ!」「根性だ!」「歯を食いしばれ!」と叱られた。こんな練習や指導を推奨しようとは思わないが、現代とは真逆の不合理で間違った指導がよくも通っていたものだと感嘆してしまう。
 一方、教育界もグローバル化という熱風が吹き荒れ、新たな改革案が次々と提言されている。センター試験に変わる新テストの複数回実施、全国学力テストの学校別平均点の公表容認、更には、先日報道された小学5・6年生の教科としての英語授業の実施等・・・。時代と共に改善改革は必要だが、学校教育は生徒が対象だから変革には時間がかかる。一時間の授業だって、いくら教材研究していてもクラスによって習熟度が違うし計画通りには進められないのが実情だ。まして、大改革となると大型客船を旋回させるほどのエネルギーと緻密な計画が必要になる。提言される改革案がどんなに素晴らしいものであっても、現場で働く教師には常に不安がつきまとう。特に、大都会と違って地方の教育困難校や小規模校では抱える課題も全国的に話題になる課題とは異次元である。例えば、複式学級では一人の先生が、同じ教室で複数の学年に違うことを教えているから、いくら時間があっても教えきれない。また、小規模の中学や高校では専門の先生が配置されず、数学の先生が臨時免許で英語を教えたり美術を担当することもある。更には、教育困難な高校では、アルファベットが書けない、分数の計算ができない生徒もおり学力向上は遅々たる歩みである。それでも教師は文句ひとつ言わず獅子奮迅、これが教育現場です。
 私も教師歴45年、体型も食べ物も生活習慣も変化してきた。昔気づかなかったことも気になるようになったし、気にする。考え方、生き方、健康、人間関係・・・不安で自信がなくなることもある。多少独りよがりや思い上がりもあるだろうが、謙虚さを失わず、人の話も聞きつつ、「これでいい」「自分はこれがいい」そう思える自分を目指したい。そしていつまでも、物事に真っ正面からぶつかり熱中する情熱を持ち続けられる自分でありたい。私は、死ぬまで「熱中症」。

2013/10/1 火曜日

原点に返ろう

Filed under: おしらせ — admin @ 11:34:35

114-1.JPG  114-2.JPG
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生と
その保護者の方々へ 第114号

                     『原点に返ろう』
                                        学校長 荒木 孝洋
 秋本番、やっと涼しくなった。今年は仲秋の名月が満月と重なり、多くの人が満天の星空を眺め名月を堪能されたことでしょう。定番のススキに団子の光景を見かけなくなったのは少し残念ではあるが・・・。文徳学園では今日から後期授業が始まる。
 ところで、先日、静岡県で全国学力テスト(小学校6年の国語A)の成績が全国最下位であったことに対し、知事は教育現場を厳しく批判し平均点の高い方から上位86校の校長名を公表した。報道から推測すると、上位校の公表より下位校の校長に反省を求める意味合いが強そうだ。県別の平均点公表については賛否両論あるが、学校名(校長名)の公表については大方が反対である。そもそも学力テストは、子どもの弱点を把握し指導方法の改善に生かすのが目的だからだ。本校でも定期考査・実力テスト・全国模試を実施しているが、結果が出ると生徒も教師も一喜一憂する。全国平均点や他校の平均点との比較しながら弱点補強に繋げていく。テスト結果を通して、生徒は自らの学習法を見直し、教師も指導法の改善にどう活かすか苦心する。しかし、改善といってもそう簡単ではない。病気治療のように特効薬がないからだ。家庭環境や学習意欲、教科の得手不得手など様々な要因が絡み合って学力向上には手間ひまかかる。しかし、文科省からは学力向上以外にも次々と新たな施策が提言され、膨らむ一方の教育内容に教師は青息吐息だ。子どもも「総合的な学習」や「体験学習」、「ボランティア活動」、更には「ICT教育の推進」など時間に追われ、「じっくり」「ユックリ」考える時間が不足している。
 ここ数年、授業改善という言葉がよく聞かれるようになってきた。従来の日本の教育は、教師が生徒に伝達するタイプの授業形態だが、これからはそれを改め、思考力のある子どもを育てなければならない。だから授業改善が必要だと言われている。しかし、私は、この考え方に違和感を持っている。そもそも、思考力問題というのは、国際学習到達度調査(PISA)によって日本の成績が低迷していることに起因しているが、ここ数年続いている授業改善のかけ声も効果が現われているとは思えない。戦後教育を振り返ると、受験を前にした中学や高校では一方的な伝達になっていたかもしれないが、少なくとも小学校では、自ら考え自ら学ぶことが一貫して追及されてきた。そうした中で日本の学力は一定レベルを確保してきたし、世界からも高く評価されてきた。もちろん、PISAの結果も良好であった。
 授業改善は教師が心を砕く日々の課題であるが、原点を忘れてはいけない。では、原点とは何か?。例えば、授業なら、言い古された言葉であるが「教材研究」である。教材とは子どもたちが学ぶべき素材であり、それを教師が研究するということは、「子どもがどこまで自力ででき、何を教えなければならないのか」を教師が吟味することを意味する。とを考えると、昨今提起されている改善策はPISAの反省には合致していない。むしろ「読み・書き・計算」、「早寝・早起き・朝御飯」、それに「教材研究」といった、原点に返ることを諭しているのではなかろうかと思える。時折、テレビや雑誌で派手なパフォマンスの講師が賞賛されるが、表面的な授業の方法論を変えたとしても思考力がつくとは思えない。本校では、学習活動・部活動・特別活動などの全ての教育活動のキーワードを「進度より深度」としている。文徳学園は、進むスピードより深く学び自ら考える時間と空間を提供したいと考えている。

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.