2014/5/8 木曜日

空っぽな時間

Filed under: おしらせ — admin @ 14:56:06

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第121号

                『空っぽな時間』
                            学校長 荒木 孝洋
 少し前の話になるが、この春の卒業式が終わった後、校長室に一人の母親が来られた。その生徒は中学生の頃から少し不登校の傾向が見られたようで、入学後も登校できなくなりそうだったことが何度かあったそうだ。母親は、「このような息子を支えてくれたのがA先生だった。休日を返上してまで話し相手になってくれたことが一度や二度ではなかった。この卒業証書を手にすることができたのはA先生のお陰だ」と涙を流しながら話をされた。それが教師の仕事だ、と言うのは簡単だが、実践することはなかなか難しい。しかも、母親が校長室を訪れなかったらA先生のことは誰にも知られることはなかっただろう。そもそも、日頃からボソボソと話すA先生をそれほど高く評価していたわけでもなかったし、A先生の教育愛に気ずかずにいた自分の不明を恥じるばかりだ。
 振り返ると、私が教師となった45年前と比べると教育現場も大きく変わってきた。どこかで事件が起こるとすぐに全校にアンケート調査が求められ、学校評価も公表することが義務化された。小中学校では全国学力調査の学校別成績公表も認知され、平均点以下の学校ではテスト対策に時間を費やす学校もあると聞く。しかも、自治体の首長や教育長がそれを推奨したり強要する報道を聞くとドキッとする。元来、学校教育はプロセスに重要な意味があるのに、結果ばかりが性急に求められる傾向に異議ありと思う昨今である。授業でも生徒指導でも、追求すればするほど底知れない深さがあり、その成果が短時間で得られることは期待できないはずだ。教師の地道な教育活動こそ学校教育の原点であり、大人も社会もそのことをキチンと認識し大切にしないととんでもない日本になってしまう。周りを見回すと、どの学校でも「祝〇〇部××大会出場」のように宣伝とも思える垂れ幕が増えてきた気がする。確かに、部活動や学習面での生徒の活躍は素晴らしいことだし、それを形にして評価することは大切なことだが、世間が成果や結果ばかり見て「いい学校だ」「ダメな学校だ」と区分する風潮になると、学校教育は歪められてしまう。教育の成果が表れるのは、早くて3年それ以上かかる。だから、A先生のような地道な努力が横断幕で紹介されることもないし、広報誌で紹介されることもない。しかし、これこそ学校教育の神髄だ、ということを広く世間に認知してもらいたい。
 先日亡くなられた作家の渡辺淳一さんは、手書きの原稿にこだわり、全ての作品を鉛筆と消しゴムを使って書かれていたそうだ。「消しゴムで消す間、どうして一度ですっきりした文章を書けないのか、もう少し適切な表現はないのか反省する。その過程に意味がある」とエッセーに書かれています。また、推理小説で有名な松本清張さんの原稿も万年筆で書かれており、原稿用紙は棒線だらけの推敲の跡形が残されており編集者は判読に苦労したそうだ。パソコンの普及で鉛筆やペンで原稿を作ることがほとんどなくなった昨今、キーを叩けば知らない漢字や忘れた文字も簡単に出てくるし、用語や過去の事実もネットで瞬時に検索できる。しかも、DELキーを押せば画面は真っ新になるから、消しゴムも不用。印刷した原稿は見栄えの良い見事なできだが、試行錯誤した思考過程は残っていない。便利な機器であるが、最大の逸失は途中の苦悩が消されてしまうことだ。
 実は、最近の教育改革もこれに似ている。小学校の英語教育、海外留学の促進、IT教育の充実、道徳教育の教科化・・・人生経験の長い大人たちが、自らの成功体験をもとに「よかれ」と思って提言する改革であっても子どもにとっては重荷なことも多い。大人たちの誰もが辿った試行錯誤の子ども時代を思い出して欲しい。渡辺さんは、机に消しゴムの屑がたまると、手を休めて濡らした布でそれを拭き取ったそうだ。「その間は頭が空っぽになり気分転換できた」と述懐されている。成長期の子どもにも、瞬時に『Yes』・『NO』と反応するパソコンの緻密さよりも消しゴムのクズを拭き取る『空っぽな時間』を与えてあげたい。時間の隙間を埋め尽くす改革は必ず破綻する。

Copyright(c)2009 Buntoku high school, All rights reserved.