2014/7/8 火曜日

知性とは?

Filed under: おしらせ — admin @ 15:37:41

    

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第123号

                     『知性とは?』
                                                                                        学校長 荒木 孝洋

 昔の先生の話をしてみたい。私の恩師伊藤善彦先生は学生時代のゼミの先生である。背が高く笑顔が柔和で、ゆったりと歩かれる姿は泰然自若の雰囲気があった。少し鼻にかかったような独特の音声で、学生の問いかけにもニコッと笑って「あ、そう」といった案配である。
 先生のゼミを選択したのは私を含めて4人、毎週木曜の午後にゼミは開かれる。代数学「群論」がテーマである。テキストの名前は忘れたが、千ページを越える分厚い洋書である。全て英語で書かれているが、数学の場合、専門用語の意味さえ覚えれば、かえって日本語より理解し易いから翻訳に苦労したことはない。ゼミでは一週間勉強してきたことを代表者が発表する。質問したり別解を出すのは学生だけ、先生はジーッと聞いているだけである。学生を厳しく非難するとか、声を荒げて叱責するとか、そういうことは全くない。正しいときは、「ま、そんなもんだろうね」と一言。しかし、もしどこかにごまかしがあったり、不十分な発表である時には、「そうかね?」と首をかしげながら、濁りのない目で真っ直ぐに私たちの顔を見つめられる。学生は震え上がってしまう。そうなると、これから一週間が大変である。4人は下宿に戻り、別の参考書を見ながら違うアプローチを検討することになる。寝る間も惜しんで勉強するが、その間、先生は「ここをこうしろ」とか、「どこが間違っている」というようなことはおっしゃらない。純粋無垢な視線で、さらに努力せよと督励される、ただそれだけの指導である。
 熊本出身の姜尚中(カンサンジュ)さんは、「自分の強さ弱さを知るための知識や情報を総体して知性(教養)と言う。判断する力もその中に含まれる。知性を身につけるには自分をさらけだす訓練が必要である」と述べておられる。ゼミは毎週毎週この繰り返しであるが、伊藤先生の高邁な知識を垣間見ながら、決してひけらかすことはされない先生から、私たち4人は知性というものの本源的な有り様を教えてもらった気がする。知識というのは、何かを知っているかどうかという事実であって、それは知性の皮相な一部分にしかすぎない。知性とは物事を深く洞察する知の力である。正しいことを正しいと認識し、ごまかしや不正確を見抜く力である。それを「考える力」と言うのかもしれない。ゼミの最終日に「やっと序論が終わったね」と先生は一言。自分の力のなさを悟った一瞬であったし、数学の奥深さを思い知らされた言葉でもある。以来、教職について45年、先生の足元にも及ばない自分だが、子どもの自立に「教えすぎは禁物」という考え方は、先生から頂戴した貴重な財産である。
 余談になるが、伊藤先生の名誉のために述べておく。学問に対しては厳しく、厳格な指導を貫き通された先生だが、日常は思いやりが深く心優しい先生であった。ゼミが終わりショボンとしている我々に「今夜はウチで飲もうよ。おいで」と誘っていただき、奥さんの手作りご馳走をたらふく頂いた。また、学生と一緒にナイトハイク(阿蘇から熊本大学までの遠歩)に参加されたり、山登りにも誘っていただいた。熊本大学から浜松医科大学に転任され、退官後の現在は陶芸三昧の三重暮らしだ。昨年、古希と金婚式を迎えられた先生御夫妻を熊本にお迎えし、卒業生が集まり賑やかに祝賀会を開いた。白髪は増えられたが、笑顔と知性は昔のまんま。

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