2016/10/7 金曜日

砂上の楼閣

Filed under: おしらせ — admin @ 7:21:30

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第146号

 

             『砂上の楼閣』      

                        学校長 荒木 孝洋

 

 つい先日のこと、近所の公園に行くと、5・6人の小学生が輪になって「ワア、ワア」と騒いでいる。覗き込むと、どの子も指をピコピコと動かしゲームに熱中している。「今は、子どもの遊びはこれか」と言葉を失う。昔なら想像できないような光景が日常化している。セミをとるでもなし、鬼ごっこするでもなし・・・電子機器の広がりに困惑。「小学生にスマホもパソコンもゲームも不用だ、戸外を走り回れ」と叫びたくなる。この現象は、子どもの世界だけではない。科学技術の急速な進歩によって大人の世界も様変わりした。例えば、プレゼンテーションソフトやプロジェクターは講演や説明会で必須のものとなっている。画像を通してプレゼンテーションできるから、説明しやすく時間も短縮できて効率的だ。準備に時間が必要だが、それをコピーして配布できるから資料を作るのと変わらない。しかも、聞く人にとっても見やすく分かりやすい。

 しかし、こんな便利な機器が開発されているのに、学校教育への普及は進んでいない。「授業でなぜ使わないのか?」不思議に思われるかもしれないが、理由は、教師が教育方法の改善や教育機器の利用を苦にしているからではない。一般に講演会などで使われる場合は提示される情報はその段階で完結しているが、学校教育の場合は違う。明日の授業は今日の学習の上に展開する石垣を積むような作業である。全ての生徒にその時々の学習内容を理解させ、知識を確実に定着させなければならない。ビデオを巻き戻すような復習もシバシバ。時には個人指導も必要になる。パソコンで文章を作るようになり「漢字は読めても書く自信がない」という話をよく聞くが、利便さの裏には落とし穴がある。教育機器を使うと説明の能率は上がるが、その分、手作業が減り定着率はむしろ低下する。

 佐賀県武雄市では全国に先駆けて、小中学生全員にipadを配付し、自宅学習を前提とした反転学習を開始した。子どもの8割は「楽しい」と感想を述べているが、小学5年生の算数の学力テストの成績は、実施前と比較してもほとんど差がないそうだ。試行されて間もないから断言はできないが、動画は一時的な記憶には残っても、知識の蓄積には繋がりにくいようだ。自分で想像を働かせてノートを作り、手に豆ができるほど書きまくり学習をする、この繰り返しが、むしろ、大切な気がする。授業でグラフィカルな動画を見せるのは効果的だが、知識の定着との両立はそう簡単ではない。私が教師になった50年前にも同じ課題にぶつかっている。当時、オーバーヘッドプロジェクターが登場し、黒板なしでも授業ができる画期的な教具としてもてはやされたが、しばらくすると消滅した。なぜ?、結論は実に平凡だった。「知識は見ることや聞くことよりも、読み・書きによって定着する」ということだった。

 子どもたちは新しい知識や情報を入手し、それを咀嚼し自分のものにするまでには時間がかかる。繰り返し繰り返しの試行錯誤の中で知識は定着していく。「反復練習や反復書写といった単純な作業は考える力を育まない」といった主張の教育論もあるが、江戸時代の寺子屋では、読み・書き・計算を繰り返し、明治維新を担った若者たちは『四書・五経』を暗誦している。意味不明の文章でも10回も読めば憶えもするし、時間をかけてジックリ学ぶことで疑問や文中に隠された奥深い意味も理解できるようになる。悪戦苦闘のアクティブな一人芝居を通した学びから自分の意見や感想も湧いてくるに違いない。他人の意見はその後で聞けばよい。最初から人の意見を聞くだけ、あるいは、無定見の思いつきを喋るだけの『アクティブ・ラーニング』はメダカの学校だ。電子機器や欧米の教育方法論を推奨する議論はスマートで華やかだが、それに偏るのは危険である。『読み・書く』の教育活動は『見る・聞く』に比べるとまどろっこしい学びだが、手書きや反復練習などの泥臭い教育実践を軽視していると、学校教育は砂上の楼閣になってしまう。

 

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