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2018年07月の記事

2018年7月3日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第166号

 

                   『星野君の二塁打』      

学校長 荒木 孝洋

 

 いよいよ甲子園を目指した野球の県大会が始まった。開会式では、前年度優勝校の秀岳館高校に続いて、一番くじを引いた本校は二番目に堂々と入場行進を行った。選手諸君にプレッシャーをかけてはいけないが、『今年こそ!甲子園』を実現してもらいたいと思ってしまう。

 ところで、小学校6年生の「道徳」の教科書に『星野君の二塁打』というのがある。一部を要約して紹介する。“同点の最終回裏の攻撃、ノーアウトランナー1塁の場面でバッターは星野君に回ってきた。監督からはバントを命じられたが、絶好球が来たのでバントの指示に背いて二塁打を放った。そして、星野君のチームは次の打者が犠牲フライを打ったためこの試合に勝利することができた。しかし、翌日に監督はバントの指示に背いた星野君に「共同の精神や犠牲の精神の分からない人間は社会の役立つことはできない」と話し、大会への出場停止処分を下した”。チームプレイの精神が重要とか、みんなで決めたことは守る、といったことが指導の主題のようだが、教室には野球のルールさえ知らない子どももいっぱいいるから、この話は扱い方によっては「上の者の言う事を聞かない行為は間違いである」というような印象を与えるかもしれない。教育の大切な目的は「自ら考える力を養う」ことだから、星野君の気持ちを聞く場面があっても良いのではないかと思った。一つの価値観や考えだけを示すのは「教育」ではなく「洗脳」となってしまう。子供の視野を狭めてしまう教材に成っては元も子もない。

 実は、この教材を思い出したのは、故意に危険なプレーを行った日本大学アメフト部の選手の謝罪会見をテレビで見ているときだった。まるで映画のヤクザと一緒である。ヒットマンになる若い者に若頭が拳銃を握らせる。若頭は「オヤジ(組長)をがっかりさせるなよしっかりやれ」。ヒットマンは「はい」。命令は絶対だ。やるしかない。そんなヤクザの世界はもう終わってるよと思っていたら、どうやらそうでもないらしい。今回のアメフト事件だけでなくいろんな組織の中で、上長への絶対服従という精神が、いつの間にか『忖度(そんたく)』という言葉で露見してきた。『忖度』は実に嫌な言葉だ。平等な人間関係における『気配り』とは違い、卑屈さや権威への無批判な隷従を感じさせる言葉だからである。一国の首相が平気でウソを言い続けているのかどうか、私には分からないが、首相の答弁に沿うように、役人たちが忖度し文書を改竄(かいざん)し、国会の参考人としても曖昧な答弁を繰り返しているのを見ると、あまりの醜さにあきれてしまう。日常生活で、「私たち、昨日会ったよね?」「いや、会ってないよ」「こう言ってたよね?」「そんなこと言ってない」──「そんなに言うなら証拠や記録はあるの?」──こんなやり取りをおかしいとも思わなくなったら、人と人との信頼関係は根底から崩れてしまうだろう。まして、時の政府の要人や中央官庁の高級官僚が、事態を糊塗(こと)するために見にくい手段をなりふり構わず駆使しているとなればとんでもないことになる。中央でやっているから「地方でも」、「民間でも」、「老若男女を問わず」となれば、日本中にダーティーな言い逃れ、もみ消しが蔓延(まんえん)してしまうことになる。

 小学校指導要領の「道徳」には、「正直、誠実」という項目が掲げられ、「嘘をついたりごまかしをしないで、素直にのびのびと生活すること」(1・2年)「過ちは素直に改め、正直に明るい心で生活すること」(3・4年)と書かれている。「若者のモラルハザードはひどい。それは道徳教育がなっていないからだ」と主張する人たちがいるが、果たしてそうだろうか?世の中には道徳的反面教材が多すぎる。道徳教育が足りないのではなく、むしろ、愚かな道徳心を持った大人が日本を支配してしまっていると考えた方がよさそうだ。ズルや卑怯が当たり前の文化になれば、日本人が古来から大切にしてきた「常識」とか「道徳」が崩れてしまう。これからグローバル化していく日本、歪(いびつ)な忠誠心や忖度が跋扈(ばっこ)するようでは外交も成り立たない。一連の不祥事について、総理は「ウミは出し切る」と明言され、忖度して悪事を働いた人(ウミ)はあぶり出されているようだが、残念ながら「自分がウミの親だ」と名乗り出る人は誰もいない。どうも、道徳教育が必要なのは小学生ではなく大人だと考える方がよさそうだ。