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2018年11月の記事

2018年11月1日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第169号

 

                 『心の筋肉を鍛える』      

 学校長 荒木 孝洋

 

 朝6時、外は真っ暗、急速な秋の深まりを実感する。気温も高からず低からず、実に過ごしやすい気候だ。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋と呼ばれるのも納得できる。とりわけ、“灯火親しむの侯”秋の夜長は読書には最適な時期だ。「本を読むと若くなる」とか「本を読むと未知を読む能力が磨かれる」と言われるが、軽いスポーツや散歩が筋肉や心肺機能を高めるように、読書は想像力を膨らませ創造力をかきたて心の筋肉を鍛えてくれる。

 プロ野球ドラフト会議で中日に指名された大阪桐蔭高校の根尾選手は“文武二刀流”の読書家だそうで、愛読書は、東大生・京大生にもっとも読まれている外山滋比古氏の「思考の整理学」と、渋沢栄一氏の「現代語訳・論語と算盤」だそうだ。父親も偉い、子どもの健全な成長を願い、毎月20冊の本を寮に送り届けていたそうだ。テレビでの記者会見を聞いていると、引き締まった顔立ちで、自らの意志をシッカリと表明し既成の枠にとどまらないスケールの大きさを感じる。優れた本と呼吸し心を豊かに働かせている人は、自然に目の輝きが増して、自信ある引き締まった顔立ちになるのかもしれない。アメリカの大学の研究者が、学生を対象に「本を読むことで脳にどんな反応が起きるのか」調べたところ、読書をしている期間だけでなく、読み終わって数日経っても、脳の言語、記憶、聴覚を司る部分が活発に活動していることが明らかになったそうだ。たしかに、本を夢中で読んでいると、次第に登場人物に成りかわって自分が行動しているような錯覚に陥ることがある。文字を目で追っているだけなのに実際に体験している時と同じように脳が反応しているのかもしれない。

 しかし、最近はどの調査でも「読書離れ」が指摘され、小中高と学年が上がるほど読まない割合が高くなり、大人の読書離れも顕著になっているようだ。日本人の脳の劣化が心配になってくる。数学者であり文筆家でもある藤原正彦氏の言葉を思い出した。読書の効用について次のように述べておられる。「読書は時空を越える愉しみである。知識を得る、感動を得る愉しみである。人間は知識を得たい動物である。脳はそのようにできている。人間は感動したい動物である。脳がそのようにできているからである。だからこそわざわざ悲しい物語を買って読んだり、入場料を払って悲しい映画を見に行く。足は地を歩きたい、手は物を掴みたい、目は物を見たい、耳は音を聞きたい、のと同様である。愉しみというのは不思議なもので、経験する前は決して分からない。初めて食べるまで餃子のうまさも見当つかないし、モーツファルトやビートルズのすばらしさも聞くまでは分からない。しかし、この愉しみを知っている人は、それをまったく堪能せずに死んで行く人を不憫に思うであろう。餃子やモーツファルトはともかく、読書の醍醐味を知らずに死んでしまう人がいたら不憫どころではない」 と。

 人の一日は二十四時間しかない。従って新しいモノが登場したり新しいことを始めると従来使っていた時間から何かを削らなくてはならない。半世紀前に登場したテレビの時もそうであったが、ケータイやインターネットの登場で使う時間も情報発信のスタイルも一新し、新たな時間配分のステージに向かうこととなった。朝から深夜までスマホを使って絶えず誰かと話をしたりゲームをしたり、さらには、メールチェックと返信で落ち着かない若者は与えられた二十四時間から何を削っているのだろうか。人や書物と対面しながら自分の『心の習慣』を身につける大切な時間が削除されているような気がしてならない。しかも、若者の読書離れはスマホばかりが原因でもないようだ。本棚もない家庭で育った人も多い昨今、周囲の大人も読書をリスペクトしない、そんな風潮が蔓延する社会になったら日本も終わりだ。杞憂であればいいのだが・・・。