学校法人 文徳学園 文徳高等学校・文徳中学校

blog 校長室より

文徳学園についてトップページ » 校長あいさつ » blog 校長室より

2018年09月の記事

2018年9月18日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第168号

 

                          『ジジイのつぶやき』       

学校長 荒木 孝洋

 

 今年の夏は本当に暑かった。40度を超える猛暑は『命の危険ライン』と言われ、ジジイ・ババアと呼ばれる我々高齢者世代にとってはことさら辛い日々であった。さらに、8月後半から9月にかけて台風と地震が日本列島を襲い、水害や山崩れ、川の氾濫で甚大な被害が出ている。昔はこんなに暑い日はなかった。せいぜい最高気温30度。ところが、人は利便性を追い求め、山の木を切り払いそこに宅地を造成したり、道路をコンクリートで埋め尽くし山奥まで交通網を整備した。逃げ場を失った熱や水が反乱を起こすのは当たり前だ。異常気象の一因はそんな人間のエゴにもありそうだ。天罰かと思ったりもする。

 ところで、来年から元号が新しくなるが、新しい元号と昭和、平成を合わせると、私は三つの元号を生きていくことになる。昭和という時代は、昭和20年の終戦を境とした戦前・戦中と戦後、元号は同じでも全く違った時代だったようだ。先人から戦前・戦中の苦労話を聞くと、平成と比べて60余年の昭和の中身は奥深く濃密な気がしてならない。昭和の歴史を紐解くと、日本は日清・日露戦争、それに第一次大戦と負け知らずだったから、図に乗って世界列強を相手に太平洋戦争に突入した。結果はアメリカをはじめとする連合国に完膚なきまでに叩きのめされ、昭和20年8月15日にポツダム宣言を受け入れ終戦を迎えることとなった。この日までが昭和の前半。昭和21年生まれの私は戦後世代と呼ばれ、戦争の体験がないから昭和は半分しか生きていないことになる。その戦後は敗戦の焼け跡から始まる。幼少時を思い出すと、進駐軍からチョコレートをもらったこと、脱脂粉乳の給食、自給自足の貧しい食事、継ぎ接ぎだらけの洋服、公役と称する村人総出の共同作業、娯楽は映画とラジオとお祭、高校進学率も40%(昭和25年)・・・しかし、日本人は貧しい生活の中でも誇りを忘れずに、寄り添いながら『知足利他(満足と感謝)』の精神で国を立て直してきた。戦後のめざましい日本の復興と高度成長は世界に類を見ない快挙かもしれない。

 一方、平成の30年間は比較的穏やかであったが、東日本大震災(H23)と熊本地震(H28)の恐怖体験は忘れられない。熊日新聞に『平成を生きて』と読者の声が連載されているが、それぞれの方の人生模様を拝読しながら、我が人生も重ねてみた。42才~71才、教師生活も後半戦。この間、担任はたったの4年間、主任や管理職として生徒から少し距離のあるところで過ごすことになった。猪突猛進だった若い頃と違い、年相応にいくらか知恵がついたのか、教育施策の変化に戸惑いながらも地道に教育活動を推進することができた気がする。しかし、時間の経過の中で、ふと、平成と昭和の違いを実感することがある。それは『生き方』の違いだろう。行方不明の幼児を発見したスーパーボランティア尾畠春男さんが世間から喝采を浴びているが、戦後の復興期には珍しいことでも何でもなかった。田舎では牛が一頭でも行方不明になれば村中総出で捜したものだ。しかし、想定外のとんでもない事態も発生している。張り巡らされたカメラによって個人情報はツツヌケだし、スマホはイジメを誘発し子どもの世界は様変わりした。スポーツ界では若い選手たちが“どん”と呼ばれるボスに牛耳られ、スポーツマンシップはどこへいったやら。政治家も官僚も企業人もみんな八百長、インチキ、嘘つきばかり。『記憶にない』とか『忖度』がまかり通り、武士道精神は雲散霧消の危機だ。

 愚痴ばかり言ってると、「発展性がない」と若者から叱られそうだが、時代っていうのは70年だろうと何百年だろうと脈々と繋がっている。熊本動物園の資料館では、戦時下でやむなく殺された7才のインド象エリーの話がビデオで流されている。戦争の悲惨さだけでなく、直接惨殺に関わった人々の苦悩と悲しみがズシリと伝わって涙が出てくる。戦争の話ばかりではない。昭和には今の日本に繋がるエッセンスがいっぱい詰まっている。この先長くない高齢者のジジイ・ババアは「昔は良かった」と、ノスタルジックに喋るばかりではなく、大事な話をキチンと若者に伝えなくてはならない。私のモットーは「若者といっしょに夢を語る」、もうしばらくは、元気な若者といっしょに日本再生の夢を語りたい。

2018年9月4日

文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第167号

 

                  『狐と狸の化かし合い』       

学校長 荒木 孝洋

 

 昔なら盆を過ぎれば秋風がそよいでいたのに、依然として気温30度を超える猛暑・・・「立秋と暦めくれば秋なのに外は灼熱戸惑う落差」、そんな中で文徳は二学期を迎えた。始業式では、季節外れの話題だが「田植え」を素材にして二学期の過ごし方についてこんな話をした。

 「今は機械化が進み田植えも稲刈りも手作業ですることはない。私の家は農家だから、繁忙期は老若男女を問わず子供も田植えに駆り出された。村中総出のお祭りに近い様相だ。水が張られた田圃では、長いヒモを二人が両端から引っ張り、他の人は目印のついたヒモに沿って苗を一本ずつ丁寧に植えていく。その列が終わるとヒモは一歩後ろに下げられ、同じような作業が続く。後ろを振り返ると終点は遙か彼方、腰は痛いし、出るのは愚痴と溜息ばかり。そんな最中、親父からしばしば「後ろを向くな、苗は下までキチンと差し込め」と怒られたことを思い出す。進路も勉強も田植えに似ている。目標や夢を追いかけると、その道のりがあまりにも遠く不安になることがしばしば。そのような時は目の前の目標や、今やるべき事に全力を尽くすことが肝要。短期的な目標に集中して取り組む事が、結果的に長期的な目標達成に繋がる」といった話です。

 ところが、終点が見えない作業はもっと厄介だ。目標が不透明なのはどうしようもない。2020年に新しい日本の教育が本格的にスタートするが、早くも学校現場では、求められるものが多様で複雑でいったいどのような資質・能力の児童生徒が育つのかと、不安や疑問の声が聞こえてくる。目指すべき先がよく見えないのは、何とも心もとない。結果的には、しぶしぶと、キーワードを手掛かりに、期待されているモノをそれらしく繕いながらやっていくことに成りはしないか?。平民宰相として知られている原敬首相の作『わけ入りし霞の奥も霞かな』という句が浮かぶ。政党政治を発足させた政治家の苦労を表現したものだと言われているが、課題を理解し、解決したと思ったら、その先にまた課題があったということではないか。今回の指導要領改訂では、新しい教科の創設だけでなく、その学び方も提言され、考えれば考えるほど雲をつかむような話ばかり、「霞」のような不安が増幅する。

 その原因を考えると、まず第1に、教職員の働き方改革を議論しつつも、教育内容の縮減や授業時数の削減もせずに、盛りだくさんの内容に改訂したことである。学校5日制が定着してきたのに、今度は「社会に開かれた教育課程」と称して土曜の利活用を提言している。実施は現場任せだから教師がコーディネートすることになる。講師の選定や連絡、その準備など土曜授業より手間暇かかるのに・・・。第2に、教科横断的な教育課題を提示しながら、「主体的・対話的で深い学び」を積極的に推進すべきだとした点である。個々の生徒の学力や理解度には大きな差があるから、すでに、学校では「話し合い」による学習や、授業の最後に「まとめのテスト」をやるなど学びの定着に必死である。そんな中で、「教科横断的な深い学び」って一体いどんな授業を想定しているのだろうか? 第3に、新しい学びに対応できる教員も教材・教具も不足したまま、外国語活動やプログラミング教育などの導入で、もっぱら教員の熱意に期待しているような状況が散見される点である。さらに、高校では大学入試が多様化し、英語の民間試験導入や共通テストの記述問題など難度は広がるばかりだ。更に厄介なのが、「eーポートフォリオ」が入試に導入されることだ。「3年間の学びや気づき」が評価の対象になる。当然、高校側は添削した立派な書類を出すだろうし、選抜に役立たないと知った大学は「活用しない」という選択をし、定員割れの大学では、「文科省お墨付きの学科試験なしの入学」と歓喜することになる。生徒も先生も「狐と狸の化かし合い」に壮大でムダなエネルギーを注ぐことになる。

 とは言え、人間は時間が経つと順応する動物である。現に、35度以上が連日続くと、従来なら25度は熱帯夜だったはずなのに涼しく感じてしまうし、校舎の危険箇所も見慣れてしまえば、些細な日常になる。無理な提言でも矢継ぎ早に提起されると、「またか」と思いながらも、その異常さに慣れてしまう。今からでも遅くない。学校と教員は、自らが目指す教育目標とその実践のプロセスを、相反する内容ではなく、地に足をつけた教育改革の提言を主体的にしたいものだ。「深い学びの実践」は教師にも求められる。